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『背中』【15】―最終話―

2012.12.28(00:58) 768

『背中』【15】最終話 ―それぞれの幸せ― 



 その後千暎は、あさみと史人に航を紹介した。打合せ通り、史人と航は、初めましてと挨拶を交わす。あさみは、千暎が惹かれる男性はみんなそこそこ逞しいんだね、と無邪気に笑う。

「僕は何人目なの?」航があさみに問い質す。

「えっと~」あさみが考えようとする。

「あ、あさみ! 考えるとこじゃない!」千暎が突っ込む。

「俺も入れとけよ」史人が言う。

「やだ!」あさみがふくれる。

 気の合う仲間がひとり増えた。


 一ヶ月程が経ったある日、突然常務が退任し、その二週間後、退職した。一身上の都合との理由で、本人の強い希望により、送別会は開かれなかった。何があったのだろうか? 千暎は連絡を取るべきか悩んだが、敢えて自分からはしなかった。そっとしておくべきではないかと感じたからだ。だがそれは、後に千暎を後悔させる事になってしまう。


 三ヶ月後、常務、つまり博章は他界した。社内報に元常務の訃報が小さく記載されただけで、詳細は一切不明のままだ。

 亡くなってから10日後、千暎宛てに期日指定の郵便物が届いた。中身は、会場と地図、開催期間が記された美術展の案内状で、差出人は博章だ。同封されていたのは、PCで打ったと思われる短い文章だった。

『千暎と過ごした時間は本当に楽しかった。ありがとう。僕の最後の頼みだ。送付した美術展に行って欲しい。僕の想いがそこにあるから。千暎、幸せになってくれ。 HIROAKI』

 薄れゆく意識のなかで、やっと打った文章だったに違いない。

 いなくなってから、こんなものが届くなんて…………。

 千暎は退職した時に連絡をしなかった事を悔やんだ。まさかこんな事態になるなんて、想像出来るはずもなかった。頬を伝う涙は、一晩中止まることなく流れ続けた。

 千暎は航に事情は話さず、友達の為と偽り、あさみと史人も誘い、スケジュールの都合を合わせて、美術展へ向かった。美術展と言っても、無名な画家や、アマチュアの作品展のような展示会らしかった。そのメインの一角に設けられた、〇〇展入選作品と書かれたコーナーがあり、恐らくここであろうと、千暎が足を進める。一点一点の作品を見て行くと、一番大きな絵画が目を引く。そして、その前で動かなくなる千暎。それにつられて足を止める三人。

「これは……」あさみが言葉を発すると同時に、史人も息を呑んだ。航もその視線の先を見つめる。

 その絵画は、一糸まとわぬ女性の背中を描いていた。うなじから流れる長い黒髪の後れ毛。少し腰を捻り、細い腕の隙間から、乳房のふくらみが見える。お尻の笑窪まで描いた際どさがセクシーで美しい。

「きれい……。千暎ちゃんの背中にそっくり。ここのほくろまで同じ――――――って、えっ!」

 あさみは気付いてしまった。右下に書かれているサインを。

「これ、千暎ちゃんなんじゃ…………。もしかして千暎ちゃんの言ってたお友達って、まさか…………」

 千暎は瞬きも忘れるほどジッと見つめていた。

 あさみは悟った。そっと千暎の横に近づき、頭を肩に付け、腕を腰に回して、抱き締めた。ほんとは肩を抱いてあげたいのだが、あさみは身長が低いため、精一杯千暎に寄り添ったのだ。

「すごい想いを感じるね……」

 史人と航は、何かを察し、ふたりをその場に残し、後退りしながら離れた。そして再び振り向いた瞬間、男ふたりは驚愕する。

「千暎!」小さく叫んだのは史人だった。「ちょっとこっち来て、ここから絵を見て」

 千暎とあさみが史人達のところまで行き、振り向く。

 ――――――!

 思わず口を押さえる千暎。「すごい」と一言だけ呟くあさみ。

 背景には、近くでは見えなかった文字が、離れて見る事で浮かび上がっていたのだ。その文字ははっきり“千暎”と読めるではないか。

 博章は、恐らく自分の死期を知っていたのだ。博章の言葉が脳裏に甦る。

『千暎を抱く事が今の僕の生きる活力なんだ…………。千暎が最初で最後に愛した女性…………』

 博章の子を産んでもいいとバカな事を言った時、物凄く怒って悲しい表情をしたのは、その頃には自分は生きていないとわかっていたからなんだ。

 千暎はその場に泣き崩れた。今度は航が肩を抱き、ゆっくり立ち上がらせると、そのまま何も聞かず、ただ抱き締める。

 史人が小声であさみに聞く。

「あの絵は千暎の恋人が描いたのか? 千暎には付き合ってたひとがいたのか?」

「常務なの……。辞めて亡くなった石井常務なのよ」

「――――なんだって! 千暎が常務と? そうだったのか……。知らなかった……」

「もう終わった事よ。でもこの絵を見たら、常務はずっと千暎ちゃんの事想ってたのかも知れないね。千暎ちゃん、大丈夫かな……」

「大丈夫さ。今は航さんがいるじゃないか。彼がちゃんと千暎を支えるよ。俺達だってついてるんだから」

「うん……。そうだよね……」


 航は千暎を抱き締めながら、語りかけていた。

「あの“千暎”と読める文字の中には、いろんな心情の色が詰まってる。……孤独感の中に光が差してるような、希望を感じるよ……。これを描いたひとは、“千暎”と言う女性をを心から愛していたんだろうな…………」

 千暎の肩にかかっていた航の腕が、ギュッと強くなった。

 航は千里眼を持つ男だったのか?

 敢えて“千暎と言う女性”と言った航に、千暎はもう何も言えず、ただ黙って航の腰に回した手に力を込め、博章の想いをしっかり目に焼き付けていた。


 ありがとう、あなたを信じて良かった。あたし、すごく幸せだよ。博章さんにこんなにも愛されて、今もあたしを愛してくれる男性(ひと)が隣にいるんだもの。あなたが言った言葉は本当だったわね。今側にいる男性(ひと)は、すごく大きな存在になった……。博章さん、あなたの想いはしっかり千暎の中に入ったよ。あなたの分まで幸せになるから、見守っててくれる?


 その時千暎は、髪から背中をなぞる博章の指を感じたのだった。



 航は千暎の部屋まで一緒に帰って来た。千暎がほとんど口を開かず、会話にもならなかったが、そばにいたいと思った。

「千暎? 今日泊まってってもいい?」

「どうしたの? 改まっちゃって。いいに決まってるじゃん?」

「良かった。元気な返事が聞けて……。そばについててあげたいと思ってたんだけど、もしかしたら、今日はひとりになりたい気分なのかな? って、ふと思ったもんだから」

「そばにいて欲しいよ……。いつだってそう思ってる」

 航がそっと千暎のおでこにキスをする。

「久しぶりに飲んじゃおうか? ビールまだある?」

「あたしがお酒を切らすわけないじゃない? ワインはないけど」

「残念だな~。僕はワインが一番好きなのに」

「うそ~。この前は日本酒がないって言ったら、日本酒が一番好きだって言ってたくせに~」

「あれ? そうだっけ? まぁ、一番好きなのは、千暎だけどね」

「へぇ~。それって、美味しいの?」

「最高だよ! 飽きない美味さ」

「あたしも飲んでみたい」

「君にはもっと美味しいのを飲ませてあげるよ」

 航が千暎を抱こうとすると、千暎が避けた。「その前に、お風呂に入らせて……」

「じゃ、一緒に入ろう? 脱がせてあげるから」

「い、いいよ。自分で脱ぐ……」

「ダメ! 脱がせたいんだ……」航は千暎の服を一枚づつ剥がしていく。そして、最後の一枚になった時、航の手が止まった。

 この美しい背中は、何人の指を知っているのだろうか……。ふと思いながら、最後の一枚を取り去ると、浴室へと入って行った。

 航は、千暎の身体を洗いながら、言ってきた。

「僕は今日、千暎の過去に、初めて嫉妬を覚えたんだ」

「あたしの過去?」

「気にしてないつもりだったけど、千暎の背中を見て、君が何人の男達に愛撫され続けたんだろうと思うと、何でもっと早く出会えなかったんだ! って、悔しさを感じてしまうんだ……」

「どうしたの? あなたらしくないよ」

「そうなんだ……。自分でもわからないんだ……。僕にもこんな感情があったんだって、初めて気づいたんだよ……」

「過去には戻れないって言ったのは、航さんだよ? 今のあたしにはあなたしか見えてないんだから、嫉妬なんかしないで!」

「千暎……」


 ふたりはお風呂の中で愛し合い、そのままベッドに倒れ込むと、激しく抱き合う。航は人が変わったように千暎を貪り続けた。千暎の身体は快感で何度もとろけそうになる。ふたりは、お酒よりも愛情の液体を飲み込んでいった。





 程無くして、あさみと史人は、身内とごく親しい友人だけで式を挙げ、無事にお披露目が済んだ。

 あさみのウエディングドレスは、背中を大きく開けた、なんともセクシーだが、可愛らしい純白のドレスだった。

「すっごく可愛い! すっごくきれい! あさみ…ほんとにおめでとう」

「ありがとう。少しは千暎ちゃんの背中に近づいたかな~?」

「あさみの方がきれいだよ~。幸せオーラが滲み出てるもん!」

「千暎ちゃんだって幸せでしょう?」

「うん……。でもあさみは表情からして違うよ。ひとりじゃないんだもんね?」と言って、あさみのお腹を擦る。

「実はね、あれから史人くんたらスゴいの。どんなに遅く帰って来ても、私の体調が悪くない限り、迫ってくるの。出会った頃とは大違い。変わるもんだね」

「もう~、オノロケはいいから! あさみだって変わったじゃん? そんな大胆な事平気で言えるんだもん。見かけはウブなお嬢様なくせに~」

「えへへっ。千暎ちゃんに仕込んでもらったからねー」

「やだ、あたしはあさみの本性を引き出してあげただけだよー」


 ふたりの姿を、離れたところから微笑ましそうに見つめる、史人と航。

「あさみちゃん、ほんとに可愛いね。それにしてもあの大胆な背中、よく許したね~?」

「あさみがどうしても出したいって言うから、仕方なく」と言って笑う。「なんか千暎の背中に触発されたみたいで、自分も頑張るって言い出して……。って言っても、頑張ったのは俺なんですけどね」

「どう言う事?」

「大きな声じゃ言えませんけど、後ろから攻めると背筋が鍛えられるんですよ」

「えっ、ほんとに?」

「だって、千暎も好きでしょ? バック攻め」

「――――お、おい……」

「冗談ですよ。頑張ったのはマッサージ。贅肉を揉みほぐしてやりましたよ。すごく気持ちイイって言われて、これからもさせられそうですけど」史人は嬉しそうに笑った。

「ところで、史人はさ……、千暎とは友人関係以上になった事はないの?」

「は? な、何をさらっと聞いてんですか? あるわけないですよ! どうしたんです? いきなりそんな事を……。航さんらしくないですよ」史人は一瞬ギクッとしたが、悟られないように惚けた。

「そうだよな……。あっても言えるわけないよな?」

「だから、ないですってば! 俺があさみを裏切ると思います?」

「ま、男だからな」

「航さん! 怒りますよ!」史人は精いっぱい誤魔化した。

「わかったよ。信じるよ。なんかさ、今まで気にしてないつもりだったけど、千暎にも、過去は取り戻せないとか言っておきながら、拘ってる自分がいるんだよ……。あの日以来、僕の胸の奥がなんだかモヤモヤしてしょうがないんだ」

「あの日以来?」

「絵を見た日だ……」

「あ~…………」

「あの絵を描いたひとは、千暎を心から愛してたんだろうな、って思うと、彼女に触れた人間はどれだけ居たんだろうか、僕には千暎を愛する資格があるんだろうかって、バカな事を考えてしまうんだ。自分がこんな小さい人間だったとは思わなかったよ……」

「人を愛するのに資格なんて皆無ですよ。千暎のすべてを知りたくなったって事ですよね? それだけ千暎の事を愛してる証拠じゃないですか。でも、誰にでも過去はあるし、良い思い出ばっかりじゃない。俺は千暎のほんの一部しか知らないけど、初めて本気になったのは、恐らく航さんが初めてですよ。だから、何も考えず、あいつのこれからを支えてやってください。俺から言うのもなんか変ですけど……」

「ふっ…………。そうだよな……。僕が彼女の過去に嫉妬したところで、何かが変わるわけもないもんな? ほんと、どうかしてたよ僕は……」

「でも、安心しました。航さんはあんまり感情を剥き出しにしないし、落ち着き過ぎてるって、思ってたから、人間らしいとこが見られて、なんだか、もっと好きになりましたよ」

「人間らしいとはなんだよ! まあ、自分のダメな部分がまたひとつわかったって事で、千暎にも感謝しなきゃだな」

「これからはそのダメな部分は出ませんよ。千暎以上の女性が現れない限りね!」

「確かに、もう現れないな」航は、すっきりとした表情を見せた。


「男同士で何話してたの?」あさみが史人の側に戻って来た。

「航さんも子供が欲しいってさ」史人が澄ました顔で言い放つ。

「えっ?」千暎が思わず航を見る。

「おい! そんな事一言も言ってないだろうが! 勝手な事言うなよ!」と言いながら、半笑い気味だ。

 千暎は航の腕に自分の腕を絡ませ、「じゃ、頑張っちゃう?」と甘え声で言う。「千暎も乗るんじゃないよ~」航は照れながらも、まんざらでもない様子。

「あら、乗らなきゃ始まらないじゃない?」あさみが言った言葉に、ちょっと間をおいた後、三人が顔を見合わせると、一斉に吹き出して笑った。

 あさみと史人は、後処理があるからと千暎達を先に帰らせた。



 帰りの車の中。

「あの二人、若いのになかなかしっかりしてるよな~。意外とあさみちゃんの方が主導権握りそうだよね?」 

「かもね。付き合い始めた頃は、あさみも史人の言いなりみたいなとこあったけど、今じゃ、史人の方がメロメロみたいだし。いいんじゃない? 結婚したら、妻が主導権握った方がうまくいくのよ」

「僕達もそうなるのかな?」

「えっ? なにそれ。さらっとプロポーズ?」

「あっ、いや、一応仮予約中だからね、シミュレーションだよ」と苦笑い。

 航は車を走らせながら、思い立ったように進路を変えた。千暎が不思議そうに見ていると、路地を曲がり、木々が生い茂った場所に入ると、妖しげなネオンが見える。妖しいと言うよりは、幻想的と言った方が合っているかも知れない。近づくにつれて、そこが建物になっている事がわかる。そこの地下駐車場に車を停めた。

「……航さん?」

「がまん出来なくて……」

 航は、千暎を車から降ろすと、手を取り、建物の中の一室に入って行く。千暎は、その強引さが嫌いではない。心臓の鼓動が高まるのを感じていた。航は部屋に入るなり、千暎を抱きしめ、唇を重ねながら、柔肌に手を滑らせる。

「航さ……ん。どうしたの?」

「どうもしないよ。千暎を抱きたくなっただけさ」

 航は止まらなかった。どんどん激しさを増す愛撫に、千暎も翻弄されていく。

『後ろから攻めると背筋が鍛えられるんですよ』

 史人の言葉が頭をよぎる。それは本当かも知れなかった。航はこの背中を造り出した男達が、千暎の中に入っていく姿を想像しただけで狂おしくなる。千暎は航がいつもと違うと感じていた。だが、激しさだけではない優しさに、されるがままに抱かれた。

「千暎、愛してる……。絶対放さないから、ずっと僕のそばにいてくれ!」
 
「いるよ……ずっと。決まってるじゃない……」

 千暎は航を受け入れた。

「千暎……。嬉しいよ。僕をちゃんと受け入れてくれて。こんなに気持ちいい思いをしたのは、千暎が始めてだよ」

「……あたしも……」

「ほんとか? 初めてじゃないだろう?」

「ほんとよ! 心と身体が伴うって、こんなに気持ちいいんだって、航さんが教えてくれたんだよ」

「心と身体が伴う? 千暎は正直だな~。そこがいいとこだけど」

「航さん、変わったね? もっと淡泊な人かと思ってた」

「僕もだよ」と言って笑った。「千暎が、僕の中に眠ってた淫らな部分を目覚めさせてしまったんだ。だから、責任取ってもらわなきゃ困るんだよね」

「良かったじゃない? 新たな自分が発見できたんだから」

「千暎に出会わなければ、覚める事はなかったかも知れない」

「後悔してるの?」

「そんなわけないだろう? 後悔なんて微塵もないよ。むしろ感謝してるんだ。千暎はこれからの僕の人生で、必要不可欠な存在になった。もう、千暎なしでは生きられないよ」

「嬉しい……。あたしも、こんなに愛してくれる人に巡り逢うなんて思わなかった。あたしの男性遍歴を咎めない航さんに感謝してます」

「おい、そこなのか?」ふたりは再び抱き合った。


「それにしても、よくこんな場所知ってるね? 彼女と来てたの?」

「彼女じゃなきゃ、誰と来るの?」

「そ、そうだけど、なんか隠れ家的なとこだし、なかなか見つけ難い場所でしょ? 実はマニアだったりするんじゃないかって……」

「マニア? この僕が? くっ……ハハハッ、笑える。一番似合わないよ」

「だって~、常連客じゃなきゃ知らなそうな造りじゃない! 近くまで来ないとなんだかわかんない感じだし……」

「千暎はこの部屋見てどう思った?」

「どう……って……」改めて部屋を見回す。

「まず、外観が不思議だった。高級な長屋みたいで。部屋も広々してて、鏡にカーテンがついてるのが面白い。全開にしたら、かなりイヤらしいよね? (クスッ) 照明が凝ってて素敵だと思ったよ。結構好きかも。……でも、なんでそんな事聞くの?」

「実はね……。ここは僕が初めて設計デザインチームに参加した時の建築物なんだ。4年くらい前かな~?」

「えっ! えっ? ほんとに? すごい! まさかそんな話の展開が待っていたとは驚きだわ……」

「でもこうして改めて見ると、駄目出ししたくなる箇所がいくつかあるね。その時の自分の精一杯だったんだろうけど、僕も他のメンバーも若かったしな~」

「どこが? 全く問題ないじゃない? 若いからこそのアイデアが詰まってる、そんな印象さえ受けるけど?」

「ほんと!? 千暎が気に入ってくれて嬉しいよ。自分が手掛けたとは言え、場所が場所だからね、様子見に来るチャンスが全くなくて……。いつか、この女性(ひと)だ! って思った女性を連れて来たかったんだ」

「でも、さっき彼女と来たって…………」

「それは、一般論で恋人同士以外じゃ来ないだろう? って意味だよ。まあ、恋人に限らずだけど」

「じゃあ、今までどんな関係のひととも、一度も来たことなかったの?」

「どんな関係のひとともって! 残念ながらと言うか、幸いにしてと言うべきか。老若男女を問わず、千暎が初めてになったよ」

「老若男女を問わず?」千暎はケタケタ笑った。「嬉しい……。あたしを初めてにしてくれて、すごく嬉しい! ……ねえ? 今度はカーテン全開にして試してみない?」

 千暎の甘えた声に、航の身体は熱く反応し始め、更に激しさを増す。ふたりは夜が更けるまで愛し合った。



 千暎が航に送ってもらって、アパートに着いたのはすでに夜中。

「今日は素敵な夜をありがとう。また行きたいな~」

「いつでも連れて行ってあげるよ。今日の千暎は凄かったもんな?」

「いやだ~。航さんのせいだよー」

 航は少しうつむき、ふーっと息を吐くと、「なあ、千暎……。おふくろと一緒に住むのは、やっぱり抵抗あるかな?」と聞いてきた。

「えっ……」

「いや、すぐにってわけじゃないけど、考えてみて欲しいんだ。もちろん、千暎が嫌なら無理な事は言わないよ。千暎の気持ちを優先するから安心していいからさ」

「……うん。わかった……。考えてみる。明日、あ、もう今日か……。お仕事なんでしょ? 眠くならないでね?」

「ますますやる気が出て来たよ。いいアイデアが浮かびそうなんだ。眠くなる暇ないかもな」

「さっすがプロ。ちゃんとスイッチ持ってるのね」

「千暎のパワーだよ。千暎はゆっくり身体を休めるんだよ」

 航は千暎を引き寄せキスをする。

「じゃ、おやすみ」

「おやすみなさい……」

 千暎は走り去る車を見送るとゆっくり部屋へ戻って行った。


 航さんのお母さんと一緒に暮らす……。考えた事もなかった。でも悪くないよね? あたしはずっとひとりで生きて来たんだもの。やっと家族らしい生活が出来るんじゃない? 結婚なんかに憧れはなかったけど、航さんとなら、きっと上手く行く。自分を信じなきゃ。あたしはママの分も幸せになって、しっかり生き抜かなきゃいけないんだから。


 千暎は決断していた。航と一緒に歩もうと。

 
 その背中をじっと見つめるひとりの男。


「石井さん、千暎さんはもうあの男性に任せて大丈夫です。わたしがしっかり見極めました。例の物、ちゃんと千暎さんに届けましたから、安心して成仏してください」


 千暎が部屋のドアを閉めたと同時に、その男はバイクに股がり走り去って行った。


 千暎がポストを見ると分厚い白い封筒が入っている。

「なにこれ?」宛名も差出人も書かれていない。千暎は首を傾げながら封を開ける。

 ――――――!!

『千暎へ。
 これは、僕が信頼するある男に託した物だ。その男が、千暎の選んだ男性を認めた時に渡すように伝えた。君がこれを手にしたのなら、僕は安心して眠りにつけているだろう。今そばにいる男性はきっと千暎を幸せにしてくれるはずだから、何があっても付いて行くんだ。離しちゃだめだぞ。千暎の美しい姿を収めた映像を返すから、夫となる男性と一緒に観て楽しむといい。僕の分まで、しあわせになって欲しい。
 千暎……本当に愛してた。そして今までも愛してる。 HIROAKI 』


 千暎の目から涙が溢れ出す。

「博章さん…………。ばかな事言わないでよ。あんな映像観られるわけないじゃん! 最後まで冗談キツいんだから……。貢ぎ物って? ――――――!」

 それは、帯の掛かったひと束の紙幣。

「ちょっと待ってよ!!」

 ある男? もしかしてまだ近くにいて、あたしの事見てるかも!

 千暎は勢い良くドアを開け、外に出ると、辺りを見回す。人影すらなかった。

「いるわけないか……。こんな大金、貰う義理はないよ。なんでこんなことすんのよ。博章さんのばか。こんなんされたら、忘れられなくなるじゃない。忘れるなって事? どうすりゃいいの?」


 千暎は夜空を見上げ、ゆっくり深呼吸をすると、星空に向かって呟いた。


「博章さん、竹元千暎は、これからは榎田千暎として生きて行きます。だからこれが貢ぎ物なら、結婚祝いとして、ちょっとだけ頂くね。残りはゆっくり考えさせて……。こんなあたしを愛してくれて本当にありがとう。そして、最後のお別れです……。さようなら……、博章さん……。千暎は幸せになります」



 満月の月明かりが、震える千暎の背中を優しく照らしていた。





  ――完――











【あとがき】

『背中』を最後までお読み頂きましてありがとうございました。
 これは、別サイトで掲載していた小説ですが、大幅に描写を削りましたので、読みやすくなった部分と、分かりにくい部分も出でしまったかも知れません。ハッピーエンドに終わらせたかったので、訂正を繰り返しながらやっと書き終えました。お気づきの事がございましたら、ご指摘くださると有難いです(未公開とします)。


 ※この小説は全てフィクションであり、文中に掲載されている場所・名称等はすべて架空のものです。実在する場合でも、関係性は一切ありません。





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『背中』【14】

2012.12.22(01:56) 767

 『背中』【14】―大切なひと―


 一週間後、航の母親が退院した。航は千暎を母親に紹介したいと言って来た。


 はっきりさせなくちゃ……。


 千暎は重い足取りで病院へ向かった。あさみを誘う事は、彼女に負担がかかると思い、ひとりで行動した。今までだって、大事な時はいつもひとりだったじゃないか。とにかくはっきりさせねばならなかった。
 
 検査が終わり、女医さんと向かい合う。千暎の顔色は最悪だ。不安な表情を察したのか、医師が声をかける。

「気分悪いですか?」

「はい……、絶不調です……」

「結論から申し上げますと、残念ですが……」

 千暎は終わったと思い、項垂れた。

「妊娠の兆候は見られませんね」


 ――――? えっ、えっ、えっ?


 千暎は少し口を開けたまま、きょとんとしてしまった。そうよね? 普通なら残念なはずよね?

「では、この気分の悪さは、胃から来るのでしょうか?」

「竹元さん? 最近何かお辛い事とか、ショックな出来事とかなかったですか? もしくは急激なダイエットをされたとか。聞いたこともあるかと思いますが、恐らく、過剰な神経性ストレスによるものでしょう。女性の身体はとてもデリケートなんです。その度合いは、個人差もありますが、生理が止まってしまう方もいるくらいです。少しリラックスして、身体を休ませて様子を見ましょう。妊娠を望んでいるなら、安心していいですよ。竹元さんは至って健康ですから、更に頑張ってもらって問題ないですからね。少し様子を見ていいとは思いますが、ご心配なら、胃の検査予約しますか?」

「は? ……はぁ……、いえ、もう少し様子見てみます」この状況で喜ぶわけにも行くまい。

 千暎は放心状態のまま、会計を済ませたものの、脱力感で待合室の椅子に座っていた。


 なんて無駄な時間だったんだろ? 脩平のせいで勝手な被害妄想をしてただけじゃない! こんな不安な気持ちは初めてだったよ。うううん、無駄じゃない。きっと戒めなんだ。神様があたしに悩ませる時間を与えてくれた。そしてチャンスをくれた。そうよね? きっと航さんだけを愛せって事なのよ。脩平との繋がりはもう何もなくなったんだから。後は航さんの胸に飛び込んで行けばいいのよ!


 いつから神を崇めるようになったんだ?


 千暎は自分の心と会話をすると、急いで病院を出た。気が付くと航にメールを打っていた。『遅くなってもいいから今日会いたい』と。

 その姿を興味深そうに見つめる、ひとりの男がいた。


 千暎は自分の部屋に戻ると、すぐあさみに連絡をした。あさみは、千暎がひとりで病院に行ってしまった事に対して拗ねていたが、杞憂に過ぎなかった事に安心してくれた。

 航から返事が来たのは、数時間経ってからだった。

『僕も会いたい。何時になるかわからないけど、今日中には行くから(笑)』千暎の顔がやっと心から微笑んだ。

『あと3、40分くらいで行けると思うから、寝ないでね』航からメールが来たのは、21時を回った頃だった。

 ――寝る時間じゃないよ。

 22時になろうかとしてる時、インターホンが鳴った。

 来た! 急いでドアを開ける。


 ――――――!!


 てっきり航が来たと思い込んでいた千暎だったが、そこには見慣れた男、脩平が立っていた。慌ててドアを締めようとする千暎だが、足と手で無理やりこじ開けられてしまう。勝手に上がり込む脩平。

「何で!? もう来ないでって、言ったでしょ?」

 脩平は千暎を無理矢理抱きしめた。

「やめてよ!」千暎がはね除ける。

「千暎! できたんだろ?」

「はっ? 何が?」

「何がって、俺の子だよ。なあ、俺の子ができたんだろ?」

「――――――! な、に、言ってる……の?」

「隠すなよ。病院に居たんだろ? 産婦人科に」

「まさか……。行ってないよ? 人違いよ……」

「兄貴が千暎を見間違えると思うか?」

「お兄さん?」

 脩平の兄は妻の付き添いで、たまたま病院に来ていた。話しかけようと思ったが、近づいてはいけない雰囲気だったから、声を掛けづらかったらしい。千暎ちゃんは結婚したのかも知れないな~。と脩平に告げたのだ。

 千暎は笑い出しそうな気持ちを抑え、「残念だけど、あんたの子じゃないから!」と強い口調で言い放った。

「俺の子じゃない? じゃあ、あのホテルの野郎か?」

「シュウには関係ない! あんたの子じゃない事だけは確かだから!」

「なら、今の彼氏か?」

「だから、シュウに言う必要なんてないし、知る権利もないから!」

「ほんとに俺の子じゃないのか?」

「100パー違う!」

「何で言い切れるんだ? ほんとは誰の子だか判んねんじゃねーの?」

 ――――――――!! 《 バシッ!!!! 》千暎の平手打ちが飛んだ。

「いい加減にして! もう、あたしに構わないで!!」

「痛てーな。わかったよ……。それがほんとなら、千暎に会いに来る必要がなくなっちまったな……。なあ、最後だから、ほんとにこれで最後にするから、抱かせてくれよ」

「その手には乗らないわ! 早く出て行って!」

 千暎は航と鉢合わせしたらマズイと、気が気ではなかった。そんな事知ったこっちゃない脩平は、容赦なく千暎に覆い被さって来た。

「なあ、頼むよ。千暎、これで終わりにするからさ~」と言いながら、千暎の身体を強引に抱き寄せた。

「や、め、て!」千暎は全身の力を込めて脩平を突き飛ばした。その拍子に、テーブルの角に頭を強くぶつけ、その場に倒れた脩平。

「…………。シュウ?」脩平は動かない。「ちょっとシュウ? 冗談やめてよ……。シュウったら!」

 千暎が脩平の頬を叩くが、ぐったりしたまま動かない。「ウソでしょ……」恐る恐る心臓に耳をあてる。どうやら動いているようだ。と、その時、脩平の腕が千暎を強く押さえつけたかと思うと、無理矢理唇を押しつけて来た。

「――――! は、離して! 痛いよ……」

 脩平がゆっくり起き上がる。「痛いのは俺の方だぜ? 俺がそんな簡単にくたばるワケねーだろうが!」今度は優しくキスをする。

「どうだ? 感じてきたか?」

「くるわけない」

「ふぅ~。それにしてもスゲー力だな?」脩平が自分の頭を撫で回す。「まあ、そんなに馬鹿力出すほど嫌われたんなら引くしかねーか…………。唯一の希望が絶たれちまったからな……」

 脩平は暫く黙っていたが、上を向いたまま言った。

「千暎……。おまえと過ごした時間はマジで楽しかったぜ。終わるなんてウソみてーだ。けど……、終わったんだよな?」

 千暎は何も言えなかった。言ったところで、脩平に未練を残すだけだ。脩平はゆっくり立ち上がると、玄関に向かった。

「腹の子の親父に大事にしてもらえよな。俺は仕事で一人前になってやるさ。丈夫な子を産めよ」と言って、千暎を抱き寄せると、そっと唇を重ねた。

「じゃあな!」バタン……。脩平が出て行った。

 千暎は何故か涙が溢れ出した。あんな身勝手なやつと別れられて良かったはずなのに、涙が止まらなかった。最後の脩平の優しさが嬉しかったのだ。


 感じたよ、シュウ……。今のキス、素敵だったよ……。ウソ言ってごめん。誰の子もできてないから……。


 千暎は、玄関先に座り込んでしまった。


 その頃、航は階段を登ったところで、千暎の部屋の方から歩いて来る男を目撃していた。

 すれ違う脩平と航。

 航は胸騒ぎを覚え、急いで千暎の部屋へ向かい、ドアに手を掛けると、鍵が開いている。

「千暎――――!!」

 目の前には、座り込んで涙を流す千暎の姿があった。すぐに抱き起こし、声をかける。

「一体何があったの? 今の男は誰?」

 千暎は航に抱き付いたまま、唇に吸い付いた。

「航さん……。あたしを抱いて……。何も聞かずに抱いてください。お願い、きつく抱き締めて……」千暎はさらに強く航を求めた。

 その夜の千暎は、お酒を飲んでいないはずなのに、激しく乱れ、航を求め続けていた。航は、ますます千暎の魅力にハマっていく。自分でも信じられないくらい何度も身体を重ねた。

「千暎、僕は君を放したくない。出会って数ヶ月しか経っていないとか関係ないよ。僕は、千暎が好きだ。……愛してる……千暎……」

「あたしも……航さんが好き。愛……なのかな?」

「おい……。いいよ、いいよ。どんどん愛に近づけてあげるから。千暎が愛しくてたまらないよ」


 ふたりは朝方になって、ようやく眠りに就いたのだった。



 目を覚ますと、隣で寝ているはずの航がいない。まさか、また帰ったの? 千暎が寝室のドアをあけると、航がキッチンに立っていた。

「航さん? 何してるの?」

「やあ、おはよう。何って、朝食の用意だけど? キッチンで他にやることあるのかな?」

「も~。…………あるよ!」と言って、後ろから抱きつく千暎。航は首を捻って、千暎の唇にキスをする。

「ずるいよ。ひとりで起きちゃうなんてー。せっかくの休みなのに」

「だって、久しぶりにいっぱい運動したから、お腹すいちゃってさ。千暎が気持ちよさそうに寝てるから、起きるまでに何か作って置こうと思って」

「運動って……。久しぶりだったら、疲れて起きれなさそうだけど?」

「疲れるどころか、興奮しちゃってねー。千暎は起爆剤だよ」

「誉め言葉として受け取っておきます」と笑った。

 ふたりは向かい合って朝食を取る。

「千暎の笑顔が戻って嬉しいよ。問題は解決したみたいだね? 何も聞くなって言われたから、聞かないけどさ」

「やっぱり、話した方がいい?」

「ん~、そりゃあ、気にはなるけど、千暎は忘れたいんでしょ? 今の千暎の瞳には僕しか映ってないよね? 心の中にも僕しか居ないなら、それでいい。あ……、心の中はちょっと違うか~。まぁ、一番上に僕が居るなら、それ以上は望まないよ」

「ありがとう……。あたし、航さんに出会えて良かった。ほんとにそう思う……」

「それは僕も同じだよ。その思いは僕の方が強く感じてるかも知れない…………。ねえ、千暎? 僕達はまだ知り合って数ヶ月。でも、君に出会って、会える回数は多くないけど、メールではいろんな事話したよね? 以前にも言ったけど、初めて君に会った時から、僕の心は千暎に奪われてた。だから、僕は千暎との結婚を考えて、真剣に付き合いたいと思ってるんだ。重いかな?」

「それって…………。プロポーズの仮予約みたいなもん?」

「仮予約? ハハハッ――――。そんな照れ隠しする千暎がたまらなく好きだよ。キャンセル食らわないように、しっかりアプローチしなくちゃだな?」

「あたしのほうこそ、嫌われないように精進します」千暎は心からそう思っていた。


 一週間後、千暎は航の母親に紹介された。『僕の大切な女性(ひと)』として。






 『背中』【15】に続く




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『背中』【13】

2012.12.17(00:54) 766

 『背中』【13】―不安―



 数日後。千暎はあさみと夕食を共にしていた。

「あさみにちゃんと報告しとこうと思って」

「どっち? 新しい彼?」「両方……」

 千暎が航と付き合う事を話すと、あさみは本当に嬉しそうに微笑み、やっと千暎ちゃんも落ち着けるね、と、にこにこしていた。そして脩平の事も、全くもって不本意な事になってしまったと打ち明けた。

「脩平くんて卑怯な手を使うやつだね! ……そりゃやっぱり不安よね……。でも、きっと大丈夫。千暎ちゃんは今までだって、思い通りにやって来れたじゃない? 彼氏さんだって、素敵な人みたいだし、こんなところで躓くわけないよ!」

「思い通りじゃなくて、勝手気ままだよ。馬鹿だよね……。今更後悔してるなんてさ」

「ダメだよ、弱気になっちゃ。不安な気持ちは良くわかるけど、そうなったら、その時悩もうよ。ね?」

「あさみ。あんたほんとに強くなったね? 史人のお陰?」

「かな……? でも、きっかけは千暎ちゃんだよ。千暎ちゃんがいろいろ私にアドバイスしてくれたお蔭」

「アドバイスなんかしたっけ?」

「千暎ちゃんはいつもズバズバ言ってくれたじゃない? コンタクトにしろだの、もっと足出さなきゃだめだの、前髪はマメに切れとか。あんたはもっと可愛くなれるはずだから、自分をアピールしなきゃもったいないって。そのお蔭で、史人くんにも告白されたんだよ? 自分にもちょっとだけ自信がついたし。私、千暎ちゃんがいなかったら、つまらない女の子のままだったよ」

「あたしは、ほんとの事言っただけ。メイクしてあげたら、めっちゃ可愛いくてさ~。髪型だって、洋服だって、ちょっと変えたら、すっごく可愛くなった。あたしが惚れそうになったくらいだよ」

「私は好きだったよ。千暎ちゃんの事……。だから抱いて欲しかった……」

 千暎は鼻からスープが飛び出そうになった。

「ふふっ、でも叶っちゃったから、満足してるの。もちろん、今だって大好きだよ」

「もう~、あさみはほんとに可愛いんだから」

 あさみは照れ臭そうに微笑むと、急に下を向く。

「…………。ちょ、ちょっとトイレ行ってくる」あさみが席を立つ。

 千暎はあさみの様子がいつもと違うと感じていた。笑顔の顔もどことなく元気がないように思えた。気のせいかな? ふと、あさみの食事に目をやると、ほとんど減っていない。そう言えば、あんまり口にしていなかった。具合でも悪いのかな~?

 あさみが席に戻る。

「あさみ? 体調よくないの?」

「えっ……。だ、大丈夫だよ? どうして?」

「だってあんま食べてないじゃん?」

「これから食べるよ。話に中で進まなかっただけだよ」

 嘘だ。あさみはどんな時だって、話ながらでも、しっかり食べる娘(こ)だ。

「ねえ? あたしに隠し事しないでよ。具合悪いんじゃないの? それとも悩み事でもあるの?」

「でも……、千暎ちゃんだって悩んでるし……」

「だから話せないって言うの? あたしに遠慮してどうすんのよ!」

「ごめん……。実はね……、最近気分が悪くて、朝起きると吐きそうになるし、食欲もあんまりないんだ……。胃をやられちゃったのかな? って思ったりしたんだけど、私が胃腸を壊すと思う?」

「思えないね~。あたしと一緒で、胃だけは丈夫なはずだし……」

「でしょ? だから、もしかしたら、って思ってるんだけど……」

「――――! それって、ひょっとして、ひょっとする?」

「まだ、わかんないんだけど……」

「史人のやつ、我慢出来なかったんか!」

「違うの! 私がいいって言ったからなの。史人くんは悪くない!」

「そう言うのはお互い様だよ」

「う……ん。わかってる。でもまだはっきりしたわけじゃないし、史人くんにも話してないんだ」

「ねえ、病院行こう? 自分で検査してみるより確実だし」

「…………。私、なんだか怖いの」

「怖い? 大丈夫だよ。史人がついてるじゃない」

「そうじゃなくて……。私達まだ若いし、史人くんが喜んでくれるのか、不安なの……」

「それは病院行ってから考えよう? 史人の子でしょ? あさみはあたしと違うんだから、不安がる事ないじゃない? あたしが一緒に行ってあげるから。ね?」

「でも……、千暎ちゃんだって不安抱えてるのに、私の事までなんて頼めないよ……」

「も~、何つまんないこと気にしてんの? 何の為の友達だよ! あさみが不安な気持ちは、あたしが一番わかってるっつうの!」


 翌日、あさみは史人には内緒で千暎と病院に来ていた。今は土曜日も診察してくれる病院が増えて助かる。

 千暎は待合室で待っている時間が、とても長く感じた。まるで夫になった気分だ。周りの妊婦さんのお腹を見ながら、あさみの姿を重ねる。と同時に、自分ももしかするとそうなるのかと思うと、ゾッとして身震いがした。しかも脩平の遺伝子かも知れないとか、考えたくもなかった。

 スーッとドアが開き、あさみがあいさつを終えて千暎の元に戻る。あさみの表情は、ほんの少しだけ微笑んでるように見える。

《まる?》千暎がジェスチャーで聞くと、あさみも言葉を発せずに頷く。千暎は、「すぐ史人に報告しなきゃ」と、あさみを抱きしめた。

「あのね、千暎ちゃん。史人くん、やりたい事があるって言ってたの……。その為にお金を貯めないとならないって……。だから、喜んでもらえないんじゃないかと思って」

「何言ってんの? そんなわけないじゃん! やりたい事が何なのか知らないけどさ、史人はそんなヤツじゃないでしょ! あさみが一番わかってるはずじゃない?」

「千暎ちゃん……」



 あさみがどうしても千暎にいて欲しいと言うので、千暎の部屋に史人を呼ぶ事にした。史人は、休日出勤を終えてから来た。

「どうしたの? この馳走ー。あれ? 今日は千暎の誕生日だっけ?」

「あたしじゃないよ」

「ん? あさみでもないし、俺でもないし……。誰の?」

 千暎はあさみをつつく。

「あ、あのね、史人くん……。今日ね、千暎ちゃんと病院行って来たの」

「病院? やっぱり具合悪かったのか……。どこが悪かったんだ?」

「史人くん。具合悪いのに、ご馳走なんか作ると思う?」

「だよな? じゃあ、なんだ?」

「あさみの表情見て、何か感じない?」

 史人がじっとあさみの顔を見る。「感じるよ。キスしたくなる」と言って、軽く唇をつけた。

「……。それは後でゆっくりやって」千暎が呆れる。

「病院→ご馳走→あさみの顔……。ご馳走とくれば、めでたい時だよな~? ――――ん? めでたい? 病院? えっ? もしかして、あさみ?」

 史人があさみを見ると、ゆっくり頷き、はにかむ。

「マジか? 俺の子?」

「馬鹿! 史人! 当たり前じゃん! なんて事言うの?」千暎が思わず声を張り上げた。

「いや、そーじゃなくて、信じられなくてさ……。じゃあやっぱり、あの夜の日か?」

「……うん。あたしが史人くんを離さなかった、あの夜だと思う……。ねえ? 史人くん? やっぱり早いかな? 私達が親になるなんて……」

 史人はあさみを抱きしめたまま、優しく頭を撫でると、「籍入れよう、あさみ。結婚しよう、俺達」と言って、再び唇を重ねた。

 史人の突然のプロポーズに驚きながら、嬉しさで涙が止まらなくなったあさみと千暎。

 どうやら、史人のやりたい事とは、あさみとの結婚資金を貯める事だったらしい。あさみを抱いた時から、その気持ちは芽生えていたのだと言う。途中、千暎に翻弄されそうになって、ヤバかったとも告白した。

 あさみが心配する事なんて何もなかったのだ。


 あさみの嬉しさとは裏腹に、自分には真逆の悪が待っているかも知れないと言う不安に苛まれている千暎だった。



 数日間、千暎は不安のまま過ごし、嫌な予感の中、航の自宅で会っていた。

 航は、今手掛けている仕事に、なかなか手応えを感じているらしく、生き生きと話をしている。それに比べて自分の落ち込みようと言ったらなんだ? 千暎は情けない気持ちで、航の目を直視出来ないでいた。

「千暎? 何か僕に言いたい事があるんじゃない?」

「えっ? うううん、航さんが仕事の話する時って、ほんとに熱いな~って思って。あたしは何のもないし、ちょっと羨ましいだけ……」

「あ……。ごめん。僕は好きな事を仕事にしてるようなもんだから、つい……。興味ないよね?」

「そんな事ないよ! 興味ありありだよ。聞いてるだけで勉強になるし、力になりたいと思ってるよ」

「ほんとに? 気を使ってない?」

「使ってない! 航さんの興味を持つものは何でも知りたいと思ってるもん! 興味なかったら、ちゃんと、ない、って言うから」

「ふっ……ダメだな~、僕は……。千暎ちゃんの事知りたいと思ってるくせに、自分の事ばっかり話してるよね?」

「それだけあたしに気を許してるって事でしょ? 嬉しいよ、とっても……」

 航は千暎を抱き寄せ、そっとキスをした。

「僕に話してくれないかな? 君の心の蟠りを」

「――――?」

「あるんでしょ? 僕に云いづらい事が」

 千暎は迷っていた。実際胃の調子もあまり良くないし、月一のものも遅れていた。しかし、どう話せばいいの? 航を失いたくない気持ちが、打ち明ける勇気を奪っていた。

「僕と初めて会った時の千暎の笑顔が、会う度に変わってて、段々深刻化してる気がするんだけど? 僕が悩ましてんのかな?」

「ち、違うよ! それは違う! 航さんの事好きだから――。だから……、離れたくないから…………」

「ん? 僕はきみを離すつもりなんかないけど?」と言って、再びキスをした。

「もう少し……、もう少しだけ……待って……。まだ何も話せる状態じゃないの……。ただ不安なだけだから……」

「その不安は、僕じゃ取り除けないの?」

「そう言う事じゃなくて…………。とにかく、後少しだけ待って欲しいの」

「わかった。千暎を信じてるから」

 航は千暎を抱きしめると、そのままソファに倒れ込んだ。

「今だけでも、その不安を忘れさせてあげたい……」と言って、千暎を優しく抱きしめる。そして、航の指使いが、千暎の柔肌を快楽へと導いていくのだった。






 『背中』【14】へ続く




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『背中』【12】

2012.12.08(00:58) 765

『背中』【12】―初めての夜―


 結局千暎は、ほとんど眠れずに朝を迎えてしまった。このまま航と会ったら、彼はまた自分の異変に気付くだろう。しかし、ここでドタキャンはしたくない。仮病を使う? でも、千暎は航に会いたかった。会って脩平の事を話すと決めたじゃない? 千暎は浴槽にお湯を張り、アロマオイルを垂らすと、ゆっくり湯船に浸かり、目を閉じた。


 今日は、航さんとちゃんと向き合うのよ。彼の事に集中しなきゃ。シュウの事はどうやって話せばいいんだろう? 話す必要あるのかな? 事態は少し変わってしまった。恐らくシュウは暫くは来ないだろう。このまま自分の過去として、航さんと向き合えばいいんじゃない? 彼は過去なんか気にするような人じゃなさそうだし。迷ってても仕方ないよね? あたしは、航さんに惹かれている。そう……、あたしはすでに彼に抱かれたいと思ってるんだ……。もう、今の自分を見せるしかない。


 千暎は約束通り、駅に向かった。今日は千暎の方が先に着いて待っていた。

「待たせちゃったかな?」

「うううん、ぜんぜん」

「今日はどこ行こうか? 千暎ちゃんのリクエストはある?」と千暎の顔を覗き込む。


 そんなに見つめないで……。


「あ……、あたしはどこ行っても楽しめる自信あるから、今日のところは航さんに任せることにします」

 航は少しの間千暎を見つめると「わかった。じゃ、任された」と言って、車を走らせる。


 今日のあたしは、航さんにどう映ってるのかな……。ふと横に視線を移すと、ハンドルを握る航の指が目に入る。細くて長い。男性にしてはきれいな指をしている。爪はきれいにカットされ、短髪の黒髪に黒縁メガネ。服装からも清潔感を感じる。その指で触れられたらどんな感じなんだろう? ――――ハッ! 何考えてんのよ。しょーもないな、あたしは……。


「何? なんかすごく視線を感じるんだけど?」

「えっ! あ、あ、いや、あの、えっと、航さんて、洋服は自分で選んでるんだよね?」

「もちろんだよ。誰に選んでもらってるって言うの? まさか母親とか? 僕はマザコンじゃないって言ったでしょ?」

「やだ、そんな意味じゃないよ。センスいいな~って、思ったから」

「えっ、ほんと? 嬉しいよ、そこを見てくれて。これでも結構服には気を使ってる方だから。千暎ちゃんだって、いつもかわいいよ。すごく君の雰囲気に合ってるし。僕は好きだよ、そう言う感じ」

「ほんと? 良かった~。じゃあ、ずっとこんな感じで行こうかな?」

「ずっと?」

「あれ? ずっとこの路線じゃダメ?」

 航は‘ずっと’と言う言葉に、これからもずっと自分と付き合う意味かと勘違いして、ドキッとしてしまった。

「た、たまにはセクシー系でもいいんだよ?」

「たまには……。了解です」千暎はやっと笑った。

 程無く車は住宅街に入り、ある一軒家の前に来ると、その家の駐車場らしき場所に停められた。

「ここは……?」

「僕の家」

「へっ?」



 航は、リビングに通すと、千暎を座らせる。

「今日は僕が作るから、文句言わないで食べてくれる? あ、おふくろはまだ入院中なんだ。別にその隙にってわけじゃないけど」と言って、照れ笑いをする。

「航さん、料理作れるの?」

「得意ってわけじゃないけど、好きなんだ、創作料理が」

「創作料理?」

「つまり……、素材も味も自己流。もしかしたら、口に合わない変なものになる可能性もあるって事かな」

「それは楽しみ。あたし、胃だけは丈夫だから、安心して」

「それは頼もしい。僕も、今までお腹壊した事ないから、安心して」

 ふたりの息が合っていた。結局ふたりでキッチンに立った。
 出来上がった料理は、見た目はスープパスタ。茹でたパスタを数種類の野菜と鶏肉で炒め、お皿に盛りつけてから、トマトスープをかける。ミネストローネにパスタが入ってるイメージだ。

「すごーい。具だくさんだね。おいしそう~」

「これだと、一皿で根菜も野菜もタンパク質もとれて、水分も取れる。有難い一品でしょ?」

「うん、うん、確かに。では、早速いただきます! ――――――。おいしい~。これ、イケますよ、航シェフ~。文句が言えないんですけど」

 千暎の満足そうな笑顔を見て、航はほっとしていた。

「良かった。千暎ちゃんの口には合ったみたいだね。良かったら、ワインもあるよ。飲む?」

「えっ、でも……」

「ワインはあまり飲まないの?」

「飲むよ。アルコールなら何でも」

「ハハハ、何でもか~。なら、飲みなよ」と言って、ワイングラスを置き、ワインを注いだ。

「あたしだけなんて、なんかつまんないよ……」

「僕も飲んでいいんだったら、飲んじゃうよ? でも、誰が君を送って行くのかな?」

「………………。あたし、今日はいっぱい航さんと話がしたいの。だから、付き合って欲しいな」

 千暎はこのまま一夜を過ごしてもいいと思っていた。

「わかった。じゃ、乾杯しよう」

 ふたりはワインを2杯程飲み干し、食事を終えると、航がコーヒーと水を持って、自分の部屋へ案内する。デスク、テーブル、ベッド、クローゼット――――。驚いたのは、本棚にギッシリ詰まった書籍だ。ジャンルを問わず様々な書籍がきちんと整理されている。中でもローマ字で書かれたインテリア雑誌がたくさんある。

「エルデコ……、コンフォルト……、モダンリビング……? あ、この辺ならあたしでも見た事ある!」

 航がテーブルにコーヒーを置き、座りながら答える。

「ああ、一応インテリアの仕事してるからね。ついつい溜まっちゃって、なかなか捨てられない。将来は自分の設計デザインしたマイホームを建てたいと思ってる。独立も視野に入れて構想中なんだ。まだ目処はついてないけどね」航は目を輝かせている。

「目標があるって素敵だな~」

 端の方にはコミック誌も並んでいる。

「漫画も読むんだ?」千暎も座りながら話す。

「現実逃避の手段だったんだけど、漫画は脳に刺激を与えてくれるし、アニメーションも勉強になる。僕にとっては、欠かせないアイテムなんだよ」

「へぇー。意外な一面を見た気がする。やっぱりお仕事大変よね?」

「ん~、仕事が大変って言うより、お客さんの要望にどれだけ自分の意見を近付けられるかって言うのに悩むかな? こっちにも譲れないものがあったりするしね。やりがいのある仕事ではあるけど、なにしろ残業やら、休日やら不規則極まりない! だから、なかなかデートの予定もつかなくて……」と苦笑いをする。

「そうなんだ……。だからめんどくさい発言が出たのね?」

「結局は仕事が好きなんだろうね。それをわかってくれる女性(ひと)は、なかなかいなくて。仕事優先だと、女性は物足りないのかも知れないよね? 『また仕事なの? 私の事なんて考えてもくれないのね?』とか言われる始末……。いつの間にか離れて行っちゃうんだ」

「ふふっ、生活の軸はお仕事なんだから、優先させて当然なんだけどねー。女心って、いつでも自分が一番でいたいのよ。仕事をキャンセルしてまで、自分に会いに来てくれた。それだけで盛り上がれちゃうもんなんだから」

「千暎ちゃんもそうなの?」

「あ、あたしは……。どうかな? 仕事をキャンセルしてまで来るバカいないわよ! ってなるかも。でも、そう言いながら、ほんとは嬉しくて嬉しくて、たまらないんだよ。愛されてる実感が大事なんだと思う」

「愛されてる実感? どんな風に?」

「どんなって…………。それは肌で感じる感覚だから、上手く言えないけど……。ちゃんと自分だけを見てくれて、大事に思ってくれたら、それだけで十分。大切にされてるって実感出来れば、離れはしないと思うんだけど……。結構、それが難しいんだよね? 男と女の感覚の違いってのもあるし」

「感覚とか考え方とか、根本的に違うとこは確かにあるね。けど、僕からすると、千暎ちゃんにはとても居心地の良さを感じるんだ。そもそも、僕が自分から女性を誘うこと自体、今までなかったから」

「えっ?」 

「かっこいい言い方しちゃうと、暇がなかったんだ。チャンスがなかったのかも知れないけど、いろんな勉強しなきゃだったし、時間も不規則。告白されて付き合っても、ろくにデートも出来ない。気が付けば三十路が迫ってた。今、やっと方向性が見えて来て、少しは落ち着いて来たんだよ。新田先輩だって同じようなもんで、ちょっと前から合コンに目覚めたみたいだしね」

 千暎はなんだか恥ずかしかった。航の真面目さに比べて、自分はどんだけ淫らな女なんだ。航に好かれるはずなんかない。千暎は黙り込んでしまった。

「千暎ちゃん? どうかした? 僕、変な事言ったかな?」

 千暎は無言で首を横に振る。航は何かを感じ取ったのか、千暎の肩をそっと抱き寄せる。高鳴る千暎の鼓動。

「航さん……。あたし……、前にも言ったけど、やっぱり、航さんに見合うような女じゃないみたい……」

「見合う? …………。実はね、過去に僕を好きになってくれた女性はいたけど、僕が好きって思えた女性は、千暎ちゃんが初めてかも知れない。会えない間にもいろんな事を考えて、僕はやっぱり千暎ちゃんに惹かれてるって感じたんだ。だから、見合うとかそんな事じゃない。僕は君にどんな過去があろうと、今の千暎ちゃんを好きになったんだよ。君の事が愛しいんだ……」

「でも……、知ったら嫌いになるよ……」

「じゃあ、正体ばらしてくれる? 嫌いになるかどうかは僕が決める事だから」

「航さん……」

「千暎ちゃんに何かあった事は、顔見ればわかるよ。この間とは違う表情をしていたからね。だから、外に連れ出して気を紛らわすより、二人でいた方が落ち着くと思って、ここにしたんだ。僕の事も少しは知って貰おうと思ったからね。それに……、千暎ちゃんにそんなひどい過去があるとは思えないんだけどな~。男の人数なんて気にしてないよ?」

「――――えっ!」

「少しは気が楽になったでしょ?」航が微笑む。

 千暎は、航の心の広さに胸の奥がキュンとなった。

「あたしも航さんが好き。だから早く会いたかった。…………。でも、でもね、あたし、不倫もしてたし、友達の彼氏……寝取った事あるし……、最低なのは、元彼と身体だけの関係を続けてた事……。彼はあたしと縒りを戻したくて、何度もうちに来て……、あたしを離したくないばっかりに……、無理やり……、イヤって言ったのに……、なのに無理やりあたしの…………」突然千暎の口が航の唇に塞がれた。

「――――!」

「黙らせちゃってごめん……。だいたいの事は把握できたよ。千暎ちゃんの正体はそのままの君だ。少しだけモラルに逆ってしまっただけ。もうそれ以上、振り返らなくていいよ」

「でも……、まだあるのに……」

「君は僕を好きって言ってくれたね。僕にはその言葉で十分だよ。今から始めればいいじゃない? 千暎ちゃんが何人の男に抱かれようと、今は僕を見てくれてる。違う? 過去は取り戻せないんだから。それとも、僕以外に付き合っているひとでもいるの?」

「まさか。今は航さんだけだよ」

「だったら、これからは僕に頼ってよ。どんなに忙しくたって、必ず応えるから」

「ほんとに?」

「ああ。約束…………は、出来ないけど……」

 航は正直だ。

 今度は千暎から唇を求めた。

「あたしを……、航さん好みの身体にしてください……」

「千暎ちゃん……。いいんだね? ほんとに僕で」

 千暎が頷くと、航の腕が千暎を抱きしめる。千暎の髪の香りが、航の神経を高ぶらせた。そっと眼鏡を外す。そのまま唇を重ねながら倒れ込む。航はゆっくりと時間をかけ、千暎を頂点まで運んでくれたのだった。



「千暎。千暎って呼んでいい?」

「うん。嬉しい……」

 航はもう一度千暎の髪を撫でながらキスをすると、背中に手を回す。

「千暎の背中って、滑らかだね。ちょっと後ろ向いて見て」千暎が背中を向ける。

「――――。素敵だ。すごくきれいだ。白くて、すべすべだよ」

 航は千暎の髪を上げ、首から肩にキスをすると、背中全体に指を這わせる。航の細くて長い指は常にソフトタッチで、千暎の快感は止まる事がない。

「今度はあたしにさせて……」


 千暎は航を虜にさせた。


 航は、千暎を抱いた事によって、もう、これ以上、千暎を他の男に触らせてはならないと思った。これほどまでに愛しい女性には、もう出会えないだろうと感じていた。まさに直感がズバリ的中したのだ。
 結局千暎は、航の腕に抱かれながら、一夜を過ごした。



 翌朝。

「航さんに言って置きたい事があるんだけど……」

「衝撃的な過去じゃないだろうね?」

「あれ? 過去は気にしないんじゃなかったっけ?」

「気にはしないけど、興味がないわけじゃないよ?」

「へ~、あるんだ?」

「まあ、いいから話してよ」

「うん……。あたしの衝撃的な過去でも何でもないんだけど、あさみ、えっと……、この間話した史人の彼女なんだけど、あさみには、何も事実を伝えてないの。だから、あの日の事は、3人だけの秘密にして欲しいのよ。史人もあさみには事実は言ってないみたいだし、もし、この先、史人と会う事があったら、初めましてって、あいさつして欲しいの」

「ああ、そんな事? つまり、僕は、これから存在する人物になればいいって事だね?」

「そ、そうです。その通りです」

「じゃあ、近いうちに初めまして会でもやろうか?」

「初めまして会? ふふふ、楽しそう~。うん、やろう、やろう。日程は航さんのスケジュール次第だね?」

「う、う、痛いとこ突かれたな」


 
 久しぶりに安らぎを感じる千暎だった。






 『背中』【13】へ続く




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『背中』【11】

2012.12.07(23:50) 769

 『背中』【11】―怒り―



 金曜日。千暎は、業務終了後、書類を整理して帰り支度をしていた。今日は早く帰るぞ。と思っていたら、丸山に声をかけられる。

「竹元さん、お疲れ様~」

「お疲れ様でした」

「今日、一緒に食事でもどう?」

「すみません~。今日は早く帰らなきゃいけないので、ご遠慮します」

「ふぅ~。今日は、じゃなくて、今日も、でしょ? 竹元さんが元気回復したみたいだから、快気祝いに奢ってあげようと思ったのになー」

「快気祝いってなんですか! 病気になんかなってませんよー」

「いつなら誘っていいのかな?」

「多分、ずっとよくないかも知れないです~」

「ずっとって! そんなに僕の事嫌い?」

 興味がないだけです。と言いかけてやめた。

「あたし、彼氏が出来たんですよー。だから、お誘いは受けられないんです。ごめんなさい。では、お先に失礼しまーす」

 千暎は席を立つと、ぽかんとする丸山に背を向け、足早に出て行った。

「彼氏がいるって、もっと早くウソついときゃ良かった」千暎は明日の為に、速攻帰社した。

 電車の窓に、時々雨があたる。強くならなきゃいいな、と思いながら外を眺めていた。駅に着き、改札を出ると、多くの人が足止めを食らっていた。タクシーを待つ長い列。携帯を耳にあてる人やメールを打つ人達。先程までの雨が、数分で豪雨になっていたのだ。千暎も傘を持っていなかった。走って行けなくもないが、間違いなくずぶ濡れだ。

「どうしよう……。小降りになるまで待つか……。せっかく早く帰ってきたのに、意味ないじゃん。丸山さんに話し掛けられなかったら、ギリギリで一本早い電車に乗れたのに!」と独り言を呟いた時だった。

「やっぱり帰れずにいたのか」と千暎の前に現れたのは、カッパを着た脩平だった。

「うわ! びっくりした! 恐いよ、黒カッパ!」

「傘持って来てやったぜ。ほら!」と傘を差し出す。

 千暎は、傘を受け取ろうとしたが、思わず手を引いた。「いいよ。止むまで待つから」

「まあ、いいから。ほら、帰るぞ!」と言って、傘を開き、無理矢理千暎の手を引っ張る脩平。そして、早足で歩き出した。


 帰るぞって、まるで自分の家に帰るような言い方よね。何であたしが駅にいるってわかったんだ? まさか、見張ってた? そんなわけないか? いや、有り得る。脩平ならやりかねない。今夜も泊まる気? ダメよ。絶対ダメ。今夜は。


 千暎が頭の中をぐるぐるさせているうち、アパートに着いてしまっていた。

「傘、ありがとう」

「あ、それ、あそこに掛かってたのを、ちょっと拝借したんだ」と、駐輪場のフェンスを指さす。

「えっ! やだ! そうだったの? 誰のかわかんないんじゃ、お詫びも言えないじゃん! あ~、お礼か?」

「まあいいじゃんかー。ちゃんと返して置けばさー。早く部屋行こうぜ」

 脩平はまた腕を引っ張ると、階段を昇る。部屋の前に来ると、ドアノブに何か掛かっていた。

「何これ?」

 脩平はカッパを脱ぐと、パンッ、パンッと叩きながら、「俺が買って来た。とにかく中入ろうぜ」と、千暎の肩に手をかける。

「ちょっと待ってよ!! 迎えに来てくれたことは感謝するわ。でも、頼んだわけじゃない! もう、来ないでって言ったはずよ?」 

「まあ、そう言うなって。今日はさ、夕方から雲行きが怪しくなって来てたろう? だから、現場早じまいして、明日になったんだ。千暎と一緒に牛丼でも食おうかと思って買って来たんだけど、千暎帰ってねーし。急にどしゃ降りになったから、もしかして駅にいんじゃないかと思ってさ、とりあえずドアに引っかけて駅に行ったんだ。したら、やっぱりいた。俺の勘もなかなかやるな?」と高笑いする。

「だから、もう、お礼は言ったわ。お願い、帰って!」

「ここまで来てそりゃねーだろ?」

「迎えに来てなんて、頼んでない!!」

「そんな冷たい事言うなよ。せっかく二人分買ってきたんだ。飯くらいいいだろ?」

「そんな事言って。また居座るつもりでしょ!」

 二人のやり取りで、隣人がドアから顔を出す。「何かあったんですか?」

 千暎は、ハッとし、慌てて鍵を開け、「な、何もありません。ごめんなさい。お騒がせしました」と、自分だけ部屋に入ろうとしたが、脩平の機敏な動きにやられてしまった。

 脩平のにやけた顔が憎たらしい。



「あたしが駅にいなかったらどうしてたのよ」千暎は着替えながら聞いた。

「どうしてたかな〜。電車を何本か待ってたかもな」

「それでも、来なかったら?」今度はお湯を沸かしながら聞く。

「わかんねーよ。そん時になったら考えるさ。そんな事より、牛丼冷めちまったよ」

「今、暖めるわよ。でも、これ、あたしが帰って来なかったら、シュウがふたり分食べる羽目になってたね?」

「もういいじゃん。もしも話はさ。あ、ビールも買って来たぜ。今まで飲み逃げしちまったからよ」と言って、リュックからビニール袋を出し、中から500ミリリットルの缶ビールを3本取り出す。

「ダメよ! 飲んじゃ! 絶対! ダッ――――!」プシュー。ゴクゴクゴク。脩平は、千暎の言葉などお構い無しだった。一気に飲み干すと、何事もなかったように話し始める。

「なあ、千暎。困ってる事があんだろ? 俺は千暎の為だったら、貯金叩いてもいいぜ」

「ったく、また誤魔化されたよ」千暎はため息をつく。

「いくら要なんだよ。言ってみろよ。女もいねーし、車も持ってねーし、今の俺なら端金が役に立つかも知んねーぜ?」

 脩平は、良くも悪くもお金には執着心がなかった。貯めようと思えば貯まるだろうし、使おうと思えば、使い切ってしまうような、計画性がない男だ。

「あたしは、シュウが稼いだお金を出させるような女じゃないよ。でもシュウがそんな事言ってくれるなんて思わなかった。気持ちだけ受け取っとくから」

「なんだよ、水くせーな。俺は千暎の為だったら、何だって出来るぜ。まあ、死ねと言われても死ねねーけどな」

「あたしの為だったら、何でも出来る? そんなの無理に決まってんじゃん! でも……、ひとつだけして欲しい事があんのよ」

「なんだ? 千暎としてない事っつったら、公開〇〇〇〇ぐらいなもんだぜ?」

「――――――!! バカ!!」

「じゃあ、なんだよ」

 千暎は牛丼を食べ終わって、ビールを一口飲んでから言った。

「さっきから言ってるでしょ? もう、ここへは来ないで!」

「なんでだよ?」

「なんでって、あたし達はもう、終わってるのよ。シュウもわかってるはずでしょ? 以前の千暎じゃないって」

「ああ、だから俺は千暎の彼氏にはなれないって事だろ? わかってるさ。彼氏じゃなくたって、千暎に会うことは出来るだろう? 俺以上に千暎の身体を満足させられる男はいないはずなんだから。俺は千暎の身体を喜ばせに来てるようなもんだな?」

「どうしてそうなるの? どうしてそんな寂しい事言うのよ…………」

「寂しい? 俺がそれでもいいって言ってんだ。俺は千暎を抱いていたい」
 
 脩平は千暎を押し倒すと、「俺を見捨てないでくれよ」と言いながら、千暎の上に馬乗りになる。

「おまえの身体が俺に反応しない時なんて、一度だってなかっただろう?」脩平の欲情が激しさを増して行く。千暎には、抵抗しても無駄だとわかっていた。それに、脩平の言う通りだった。自分の気持ちとは関係なしに、脩平の愛撫に体感温度が上昇して行く。千暎は虚しさと快感が渦巻く中で、脩平を受け入れてしまうのだった。



「シュウは、あたしに彼氏が出来ても会いに来るって言うのね?」

「ダメか?」

「彼が許すわけないじゃない!」

「いるのか? 好きな男が」

「いるわ。だから邪魔しないで!」千暎はウソをついた。だが、好きになるかも知れない。とにかく、脩平と離れない限り、前には進めない。

「どんなヤツなんだ? 俺以上に千暎を満足させられる男なのか?」

「あたしが満足ならそれでいいでしょ? あたしは、その男性(ひと)と真剣に付き合いたいの。シュウの欲情だけであたしを抱くのは、もうやめて。あたしはシュウを見捨てるとかそんな事思ってないよ。シュウの優しいとこだって、ちゃんとわかってる。ちょっと強引なとこも嫌いじゃないよ? でも違うの。ずっと一緒にいたいって、そんな風には思えないのよ」

「ふ…………、やっぱり無理なのか? 俺は身体だけでも千暎と繋がってたかったんだ。抱けば抱くほど、千暎が俺から離れられなくなるはずだと思ってた。でも違うみてーだな? けど、俺は2番目でいいぜ。彼氏になんなくたって、千暎に会えればそれでいい。なあ、それでもダメか?」

「2番目? 女女しい事言わないで! シュウには男としてのプライドはないの? シュウはこれからもっと男らしくなるはずだよ? あたしなんかに執着しなくても、出会いはきっとあるよ」

「気休めなんか言うな! わかったよ。けど、俺は諦めねーから。千暎が惚れ直すくらいな男になってやるよ」

「惚れ直す? あたし、シュウに惚れてた?」

「うっせーよ! 惚れてんだろ? この身体によ!」そう言うと脩平は、再び千暎に覆いかぶさって来た。

「そうやってすぐ血が昇るとこが大人じゃないのよ!」

「なんとでも言え! 今夜は寝かせてやんねーからな!」

 千暎は、それで脩平の気が済めばいいと思った。好きなだけ抱けばいい。千暎も火照る身体を抑える事は出来なかった。

「千暎、もっと声出せよ。何ガマンしてんだよ。暫く会えないんだろ? もっと乱れ喘いでくれよ」脩平の顔つきが変わる。

「シュウ? ――――!! シュウ!! ダメ! ダメよ!! これ以上はダメだよ! やめて!! お願い……。イヤ!! イヤァ――――――!!」



 ――――――――脩平は最後まで貫き通した。





 千暎は微動だもせずに、ベッドの上に横たわっていた。

「俺を千暎の中に残しておきたかったんだ……」

「帰って……。もう二度と来ないで!!」千暎は怒りと後悔の念に駆られた。

「俺たち、何で再会しちまったんかな? 俺は、やり直せるチャンスが来たと思ってたんだ」

 千暎は何も答えない。

「千暎?」

「触らないで! 聞こえなかった? 帰れ! って言ってんのよ!!」

 今までにない千暎の荒声に、脩平も黙り込んだ。ムクッと起き上がると、勝手にシャワーを浴び、帰り支度を始めた。

「俺、後悔してねーから。何があっても逃げねーからな!」脩平は真夜中にも関わらず、部屋を出て行った。

 雨はすっかり上がり、月の光が闇を照らしていた。


 あの日も雨だった。あたしがあの時、シュウを引き止める事さえしなければ、始まる事もなかったのかも知れない。ううん、違う。再会したシュウを見た時、あたしの身体はすでにシュウを求めてた。引き止めたのは自分の熱くなる身体だ。あたしがシュウを責める資格なんてないんだ…………。


 千暎は、無気力のままベッドから降りると、浴室で念入りにシャワーを浴びた。止めなく溢れ出す涙。千暎は初めて大きな不安を抱くのだった。






 『背中』【12】へ続く




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『背中』【10】

2012.12.01(00:50) 763

『背中』【10】―もどかしさ―



 タクシーから降りた千暎は、自分の部屋へと向かう。

「今日は疲れた〜。シャワー浴びて速攻寝よう」千暎が部屋の鍵を開け、中に入ってドアを閉めようとした瞬間だった。

 ――――ガシッ!! 何かにドアを掴まれた。何者かの足だった。

「ヨッ! 千暎!」

「――――! シュウ!」 

 脩平は勢いよくドアを開けると、お邪魔します。と言ってズカズカ上がり込んだかと思うと、勝手に冷蔵庫からビールを出し、一気に飲み干した。

「ふ〜。うめえー!」と言うと、更にビールを2本出し、テーブルの上に置くと、ちゃっかり座り込む。

「ちょっと! 何、勝手な事してんのよ! 今、何時だと思ってんの! ビールなんか飲んじゃってさ、あんたバイクでしょ!?」

「ああ、バイクだよ。だから千暎んちに泊めて貰おうと思ってさ! 千暎も飲めよ、ほら!」とビールを差し出す。

「それ、あたしのビールなんだけど! つーか、泊めないから!!」

「俺、さっき現場終わったんだ。うち帰るより、千暎んちの方が近かったからさ~」

「だからって、勝手に泊まるなんて決めないでよ!」

「いいじゃん! 俺に飲酒運転させる気か?」

「自分で勝手に飲んだんじゃない! 免許停止にでもなればいいわ!」

「ひでーな~。俺、現場行けなくなっちゃうよ」

「知るか!!」

「あ、俺、弁当食ってから風呂入るわ。千暎も少し食うか?」

「いらないし、お風呂なんか貸さない! あたし、シャワー浴びたら、すぐ寝るから!」

「ああ、そうすれば? 自分ちなんだから」

「ったくもう! 勝手な事ばっか言ってんだからー。食べたらさっさと帰ってよね!」

 千暎は引き出しから部屋着を出すと、浴室へ行く。


《シュウには振り回されっぱなしだよ。あの図々しさが腹立たしいのに、何故か憎み切れない。は~あ、そんな自分が悔しい。でも、このまんまじゃ、シュウはますます付け上がるばっかだよ。あいつはあたしの都合なんか関係なく、勝手にやって来る。なんとかしないと……。でもどうすればいいの? 簡単に説得に応じるとは思えないし。再会した時、何でもっと冷静になれなかったんだろ? ほんとに浅はかでバカだった》


 千暎は流れ落ちる温水を浴びながら、いろいろ考え事をしていた。シュウが背後に迫って来ていたのにも気づかないほど。

「千暎の背中はいつ見てもきれいだよな~」

 ――――ビクッ!

 振り向くと、全裸の脩平が仁王立ちしていた――――。

 後ろから攻め始める脩平。

「やめて! 今日はもうクタクタなの……。お願い……やめて……」

「そんなにクタクタになるほど、千暎を抱いたヤツは誰なんだ?」

「そんな事、シュウには関係ないでしょ! イヤ……、シュウ、もうやめて……」

「やめねーよ! 俺がそいつより千暎を感じさせてやるよ!」

 千暎はもう限界だった。とにかく早く横になりたかった。脱力感のまま、仕方なく脩平に抱かれた。脩平は遅くまで現場だったためか、一回果てるとそのまま寝てしまった。

 助かった……。千暎もすぐに寝落ちした。



 早朝。アラームで目を覚ますと、脩平はまだ寝ていた。と思っていた。千暎が疲れた身体を起こそうとした時、脩平に腕を掴まれる。「起きてたの?」と言った途端、ベッドに引き戻され、唇を奪われた。

「ん、もう、あたし今日も会社なんだから」

「だから?」

「だから? じゃないって!」「1回だけだから……」千暎の抵抗も空しく、脩平のタフさには勝てなかった。


 千暎は、先にシャワーを浴びると、コーヒーを沸かし、パンを焼く。

「会社行くのかったるいな……」とため息をつくと、脩平も浴室から出て来た。

「現場、何時から?」

「8時。なんなら送ってってやろうか? ……あ、俺、千暎の会社知らないんだった。どこにあるんだ? ホテルの近くなのか?」

「ホテル?」

「昨日、千暎が男に抱かれたホテルだよ」

「――――な! ……何言ってんの?」

「何って、昨日の夜はホテルにいたんだろ? ホテル眺めながら、タクシーで帰って来たじゃんか」

「シュウ……? 何で? まさか……つけてたの?」

「そんな事はもうしねーよ。現場から帰る途中だったんだ。驚いたなー。思わずバイク止めて見ちゃったよ。けどよ~、千暎をひとりでタクシーで返すとか、ふざけた野郎だな? 一緒に帰んないって事は、相手は不倫か? 千暎は惚れちまってるのか?」

 千暎は何も言いたくなかった。言う必要もない。

「シュウには関係ない。さっさと食べて、仕事行きなよ。そのまま二度と来ないで!」

「冷たい事言うなよ~。今度は、千暎の好きなもん持って来っからさー。何がいい?」

「来ないでって言ったのよ!」

「ふーん。そんなにそいつがいいのかよ。俺より上手いのか?」

 千暎はもうあきれ果てていた。「えぇ、えぇ、シュウより数倍も、何十倍も上手いどころか、何もかもが大きな人よ! 関わらない方がいい」

「フッ、関わらない方がいいってなんだよー。ん? まさか……、まさかおまえ、ヤバイ事になっちまってんじゃねーよな?」

「だったら? そうだったら助けてくれるわけ?」

「ウソだろ? 何すりゃいいんだ? 金か?」

「シュウが敵う相手じゃないから!」

「マジかよ! いくらだ? なあ、いくら必要なんだよ!」

 脩平は顔色を変えて千暎に迫る。まずいな。このまま演技を続けるか、ホントの事を言うか。後に引けなくなって来た千暎。

「だから、シュウには関係ないって言ってるでしょ! あたしは別に困ってないから! とにかく、もう来ないで! もう行きなよ。遅れるよ! あたしも支度しなきゃなんないんだから」

「そうか。関わらない方がいい、ってのは、俺をそいつと闘わせたくないって事なのか。なら負けねー。俺、ぜってぇ負けねーから!」

 脩平は、出された朝食を平らげると、「また来るから、それまで無事でいろよ!」と言って出て行った。

「無事に決まってるじゃない。バカ……。脩平のバカ。違うのに。闘う必要なんかないんだよ……」千暎は、脩平が逃げ腰にならない事に、なんだか心がじんわり熱くなるのを感じた。

 ヤバ! あたしが遅れるっつうの!

 千暎も、急いで支度して会社に向かった。




 案の定、仕事に集中出来ずに1日を終えると、あさみからメールが来る。

『今日時間あったら、ご飯食べに行かない?』

 正直、今日は早く帰りたかったが、あさみに相談したい気持ちもあったし、OKした。

 
 某中華レストランの一室。

「千暎ちゃん、やっぱり疲れた顔してるね?」

「そ、そうかな? ん? やっぱりって?」

「今日ね、企画部の丸山さんが、私のところに書類持って来たんだけど、その時、千暎ちゃんの事心配してたから……」

「丸山さんが? なんて言ってたの?」

「『今日の竹元さん、なんか覇気がないんだよねー。いつも元気だから、調子狂っちゃってさ。なんかあったの?』って。疲れてるだけなんじゃない? って言っといたんだけど……。あの人、千暎ちゃんに気がある人よね?」

「ん~、今はもうないんじゃない? 彼からの誘いは全部断って来たから」

「もったいないな~。彼の親って、なかなかの金持ちみたいだよ」

「金持ってんのは親でしょ? あたし、悪いけど、彼には全く興味がないのよね。それよりさ、あさみに相談したい事があるんだけど」

「やっぱり何かあったんだ? 丸山さんが元気なさそうって言ってたから気になってたんだ~。千暎ちゃんが私に相談だなんて、珍しいもんね。覚悟して聞くよ」

「覚悟なんかいらないわ」


 千暎は、博章との事を簡単に話し、今は脩平の事をどうにかしたいと相談した。

「ん~。でも彼氏いないんだし、出来るまでは脩平くんといればいいんじゃないの? 問題は身体だけでいいって事だよね~。千暎ちゃんに彼氏が出来ても、関係なさそうだし……」

「その事なんだけどさ。実は、梅先輩に付き合わされた合コンの日にね、連絡先だけ交換した男性(ひと)がいたんだけど、あれから連絡が来て、会って話をしたんだよ」まさか、会ったその日に泊まったなんて、事実は言えない。

「えっ! そうだったの?」

「うん……。会って話をしたら、不思議と落ち着けるの。彼もあたしの事、気に入ってくれてるみたいだし、あたしもそろそろちゃんと恋愛したいな、って思ってるんだ」

「そっか~。嬉しいなー。千暎ちゃんがその気になってくれて。どんな彼氏候補なの?」

「それは……」“史人に聞いて”とは言えない。

「もちろん、ちゃんと付き合う事になったら、真っ先にあさみに紹介するから」またウソついてしまった。

「うん! 楽しみに待ってる」あさみの屈託のない笑顔が眩し過ぎるよ…………。

「その彼に相談してみてもいいんじゃない? 千暎ちゃんが惹かれるくらいな男性(ひと)なら、頼りになりそうな気がするんだけどなー」

「あさみ……。あたし、怖いんだよ。もし彼に脩平の事話したら、嫌われるんじゃないかって……」

「でも、千暎ちゃんは困ってるんでしょ? 千暎ちゃんの事、好きになってくれる男性(ひと)だったら、わかってくれるはずだよ。そんな事で引くような男なら、付き合わない方がいい!」

「ありがとう、あさみ。あんたも逞しくなったね」

「私だって、千暎ちゃんの事、好きだから。脩平くんが聞き分けない事言うなら、史人くんと乗り込んで行くから!」

「ふふっ、そこは史人と一緒なんだ?」

「やっぱ、男には、男が必要よ。あ、そうだ! 今日の夜……って言っても、夜中になっちゃうみたいなんだけど、史人くんと会うから、話しても大丈夫かな? 言っといた方が、いざと言う時説明しなくて済むし、千暎ちゃんも心強いんじゃない?」

「いざと言う時があるかわかんないけど…………。そうね。いいよ、話しても」

 千暎はあさみに話した事で、少しは気持ちが楽になった。そして、あさみと別れると、史人にメールする。航の事は知らない振りをしておいて欲しい。会う事があったら、その時がはじめましてだから、よろしく。と。


 その日の夜、タイミング良く航からメールが来た。来週の土曜日に会いたいとの誘いだった。千暎は少しばかり気が重かったが、航に会いたい気持ちが高まって行くのがわかる。


 千暎は航に話す決心をした。





 『背中』【11】へ続く



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『背中』【9】

2012.11.30(23:44) 761

『背中』【9】―別れ―  




 航に出会った事で、千暎は博章と会う事は止めようと思っていた。博章から連絡がある時は、決まって博章の事を考えている時だ。以前は、会いたいと思っている時だったが、その日は関係を断ち切ろうと考えている時だった。まるで、自分の心を読まれているかのように。


 千暎は今日を最後にするつもりで、博章のされるがままに抱かれた。

「今日の千暎はおとなしくないか? 具合でも悪いのか?」

「あ、うううん、具合は悪くないよ」

「具合は? じゃあどこが悪いのかな?」

「博章さん。あたし、博章さんに会うのは……今日で終わりにしたいの……」

「ん? どうして? 好きな男でも出来たのか?」

「まだ……だけど。でも、好きになる予感がする男性(ひと)がいるの……」

「千暎の好きな男性(ひと)は僕なんじゃないの?」

「それは……。多分、好きって思い込んでただけなんだと思う。そう思う事で、満たされた気分になってたって言うか」

「思い込んでた? それでよく僕の子供を産んでもいいとまで言えたもんだね?」千暎は以前、博章には子供がいないことに振れ、博章の子を産んでもいいと言って、博章を怒らせた事があった。簡単にそんな重要発言をするもんじゃないと、激しく叱責された。

「ごめんなさい!! ホントにごめんなさい。無責任な事言ってしまったって、反省してる。博章さんがあたしの事、気に入ってくれてたみたいだったから、調子に乗ってしまって……。だから、その時は博章さんしか見えてなかったの」

「今は違うってわけか。だからか? だから最近益々きれいになったんだな?」

「まさか、そんな事ないよ!」

「その男は千暎を満足させてくれてるのか? 僕より気持ちいいのか?」

「――――――――!」

「どうなの?」


 答えられるわけがない。気持ちいい事すらしていないのだから。


「その男性(ひと)とは……、身体だけじゃないの。気持ちで繋がっていられるような男性(ひと)なのよ!」

「千暎? 確かに僕は忙しくて君とはなかなか会えない。でも僕にとって千暎は、理想の女性なんだ。千暎を抱くことが、今の僕に生きる力を与えてくれるんだよ。僕からその活力を奪わないで欲しいな~」

「そんな……。理想とか、活力とか、そんなこと言われても、それは博章さんの気持ちであって、あたしの力ではどうする事も出来ないよ」

「千暎に彼氏が出来ようが、そんな事僕は気にしない。僕が千暎を誘うのは、年に数回ぐらいなもんだよ? そのくらいなら、彼氏にバレることなんかないだろ?」

「回数の問題じゃないよ!」

「そんな深く考えなくていいんじゃないか? 千暎に彼氏が出来れば、もっときれいになった千暎を抱けるし、僕にとっては大歓迎だよ。たまには違う快感を味わうのも悪くないよ?」

「――――! 本気なの? 本気でそんな事思ってるの?」

「僕は、いつだって本気だって、言ったでしょ?」

「博章さんには守るべき奥さんがいるじゃない? もう会っちゃいけないんだよ……」

「そんな事は初めから承知の上だったじゃないか」

「そうだけど……。その時は自分の事しか考えてなかったから。それに、博章さんが好きなのはあたしの身体だけでしょう? 抱きたい時にだけ呼び出されるなんて、まるでデリ嬢だよ」

「じゃあ、払おうか? いくら欲しい?」

「――――! 冗談言わないで!」

「冗談なんかじゃないさ。それで君が僕に会いに来てくれるなら、いくらでも払うよ」

「やめてよ。そんな言い方…………」

「千暎、時々でいいんだ。ほんとに時々で。僕に活力を与えてはくれないかな?」博章は優しい眼差しで千暎を見つめる。

 そんな眼で見ないで……。心が揺れるから……。

「あたしは変わりたいの。いつまでも身体だけを求められるのはイヤ! 心ごと愛されたいと思うようになったのよ。だから、ひとりの男性(ひと)だけと真剣に恋愛と向き合ってみたいと思ってる。だから、博章さんと会う事はもう、出来ないよ……」

「千暎らしくないな~。君はそのままがいいのに」

「今までが勝手すぎたのよ。間違ってたとは思いたくないけど、変わらなきゃいけないと思ってる……」

「そうか。時々でもダメなのか?」 

「うん……」

「どうしても?」

「うん……」

「僕が千暎の身体だけじゃなく、すべてを好きだって言っても?」

「……うん」

 博章は暫く考え込むように千暎を見つめた。そして、ため息をつく。

「ふう~、どうやら千暎の決心は固いようだね。これ以上頼んでも無駄なようだな。だったら仕方ない。千暎の好きにさせてあげるよ。その前に、餞別代わりにちょっと見て欲しいものがあるんだ」

「餞別?」

 博章がTVのリモコンを操作すると、いきなり男女の絡みが映し出された。――――千暎は驚愕する。そこに映っていたのは、まぎれもなく千暎が喘ぐ姿だったのだ。

「――――――!! 何よ……これ……………………」

「良く撮れてるだろ?」映像はうまい具合に千暎だけにあてられ、男性が博章だとは全くわからない。

「君はほんとにエロいよな~。見てるだけで興奮する――――」

 千暎は怒りで震えがなかなか止まらなかった。

「いつの間にこんな事。いや……。やめて!! やめてよ!! もう止(と)めてっ!! こんなもの、一体どうするつもり?」

「千暎が僕の誘いを拒否しない限りは、どうもしないよ?」

「拒否しない限り? 拒否……したら?」

「さあ? どうするんだろうね? 僕の名を叫んでる音声を消せば、相手が僕だとはわからなくなる。そうなれば、どこにでも出せちゃうよね?」

 千暎は愕然とする。

「信じられない……。博章さんがそんな人間だったなんて。最低――――――。最低だわ。あなたがこんな卑劣な真似するような小さな男だとは思わなかった! 見損なったわよ! そんな男に抱かれて喜んでた自分が、悔しくて情けない! これをネット上にでもあげるって言うの? それとも売る気? そうやって何人もの女性を脅して来たってわけ? あなたはお金に困ってる人じゃないはずよ?」千暎は激しく怒りをぶつけた。

 博章は無言のまま、暫く千暎を見ていた。そして、ベッドの脇に置かれていたワインを飲み干すと、いきなり笑い出した。

「ふっ…………。ハハ、ハハハハッ!! やっぱり千暎は最高だよ! 君がこれ見たら、どんな反応するかと思ったら、泣き叫んでひれ伏すどころか、僕を小さな男だと罵った。更には自分が情けないとまで言う。嬉しいよ。見事に期待を裏切ってくれて」

 千暎は目をパチクリさせながら「なに……? あたしを試したわけ?」と、憤りを見せた。

「試したわけじゃない。僕の作品を見て欲しかっただけさ。僕はね、初めて千暎を抱いた時から、こんな日が来る事はわかってたよ。だから、千暎を僕の中に留めておきたかった。僕のコレクションのひとつにしたかったんだ。千暎が僕から去ったとしても、千暎を感じられるようにね。まさかこんなに早くその日が来るとは予想外だったけど」

「…………。ひどいよ、コレクションだなんて……。だからってこんなのイヤだよ。こんなものを博章さんに見られてると思うだけで、耐えられない!」

「会えないんだったら、それくらいは許してもらわないと。僕にとっての唯一の活力源なんだから。僕しか見ないんだからいいだろ?」

「いいわけないよ!」

「僕は千暎の事、ほんとに好きなんだ。だから君が困るような事はしたくない。僕はそれなりに立場がある人間だからね。千暎が僕の秘密、例えば、この部屋の事なんかも含め、誰にも口外さえしなければ、他人の目に晒される事はないさ」

「十分困るようなことしてるじゃない! もし、口外したら?」

「ふっ、君は賢い娘(こ)なんだから、そんなリスクをおかすような事はしないだろ? たとえこの先、君が退職したとしても、この映像は残ったままだからね。僕の人間関係の広さを甘くみない方がいいと思うよ」

 つまり、その言葉は、博章の一言で動く人間がいると言う事を意味していた。

「博章さんは、やっぱり大きい人なのね。素晴らしいんじゃなくて、ゲス的な意味で」

「くっ、くっ、その千暎の勝ち気なところがたまんないね~。僕の目に狂いはなかった。千暎の男を見定める力もなかなか悪くない。自信持って行ったほうがいい。きっと、今好きになりかけてる彼は、千暎にとって、大きな存在になるよ。僕の大きさとは全く違う意味でね。悪かった……。苛める事ばかり言って。ひとつだけ反論させてもらうけど、僕がこんな事したのは、今の妻だけだ。でもそれは、僕が生き延びる為の最終手段だったんだよ」

「博章さんて、もしかしたら、一匹狼で生きて来たの? ほんとは寂しがりやな人なんじゃない? いくつもの屈辱も受けて来た。違う? だからって、あたしはこれ以上あなたの事、詮索はしないけど」

「ああ、そうだな。詮索なんかしないほうが、君にとっては懸命な選択だ」

「博章さん……」

「千暎――。お願いがある。最後に思いっきり僕に甘えてくれないか? 千暎の身体の感触を、しっかり僕に植えつけて欲しいんだ」

「イヤよ! また撮るつもりなんでしょ?」

「まさか~。もうやらないって! だから安心して声出して欲しいんだ」

「ウソじゃないよね?」

「やらないって言っただろ?」

 博章はワインをグラスに注ぎ、口に含むと、千暎の口の中に流し込む。

「僕たちはこのキスから始まったんだ……」博章の顔は、あの時に戻っていた。

 千暎は彼を信じ、自分から博章を求め、今まで以上に激しい動きをするのだった。それは、博章がぐったりするまで続いた。

「千暎は僕にとって、最初で最後に愛した女性になるだろうな」

「最後だなんて、そんなことないでしょ? でも最初ではないはずよ?」

「いや……、最初なんだ。千暎が言った一匹狼で寂しがりやだって言うのは、正解と言っていい。それに、僕が好きなのは千暎の身体だけじゃないよ? それだけは信じて欲しい」

「博章さん……」

 千暎はそれ以上聞くことはなかった。
 博章は、これからはまた上司に戻るよと言って千暎を見送った。せめてタクシー代ぐらいは払わせて欲しいと言いながら…………。


 ひとりになった博章は、グラスに少量のワインを注ぐと一気に飲み干し、ソファにもたれ掛かりながら呟いた。

「これでまた、最高なコレクションが作れたな。千暎、感謝するよ。君に乾杯だ」

 博章は、部屋に設置してある数台の隠しカメラで、しっかり録画していた。しかし、今度は無修正のまま残すことに決めていた。自分ひとりの密かな楽しみのために…………。



 千暎はホテルを出ると、部屋の方に視線を向けた。千暎は、最後の営みを博章が収めないわけはないだろうと、確信めいたものを感じていた。

『博章さん、最後の千暎は良く撮れた? 相当頑張ったんだから、しっかり活力源にしてよね。あたしはあなたを信じるよ。そして、博章さんに抱かれた事は一生忘れない。あなたは本当は優しい人。きっと、ひとりでずっと闘って這い上がってきたんでしょ? 初めて愛したのが奥さんじゃなくてあたしだって言ったのは、奥さんが、今のあなたを作るために必要な手段だったからなんだね。だから別れる訳には行かないのよね? あたしがきれいになったのだとしたら、それは博章さんのお陰だよ。でも、まさかあんな趣味があったとは、正直ビビッたけど。あなたが非道な人間じゃない事はわかってる。信じてるから。博章さんの事。そして、自分自身の事も信じたい! だから、博章さん? 裏切ったら、刺しちゃうかもよ!』


 千暎は、心の中で博章に言葉を投げかけると、タクシーに乗り込み、ホテルを後にした。



 そんな千暎をじっと見つめる、ひとりの男がいたとは知るはずもなかった。





 『背中』【10】へ続く




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『背中』【8】

2012.11.23(23:58) 760

『背中』【8】―初デートなのに―



「困らせることはしないって言ったじゃん。シュウのバカ!!」

 翌朝、千暎はぐったりした身体をやっと起き上がらせ、シャワーを浴びた。髪の毛から足の指先まで、脩平の匂いが消え去るまで、隅々まで念入りに洗い流した。鏡に写る千暎の顔は、瞼が腫れ、目が充血していた。目薬を差し、アイスマスクで15分冷やしてから化粧を始める。いつもより少しだけマスカラを濃く塗っておいた。途中で航からメールが入る。

『後10分程で駅に着く予定。大丈夫かな?』


 ――大丈夫じゃない!


 が、そうも言ってられないので『了解』とだけ返す。

 千暎は焦りながら、淡いブルー地の花柄ワンピースに、オフホワイトのロングカーディガンを羽織り、ショールを巻くと、軽く香水をかけてから、駅へと急いだ。駅のロータリーにはすでに航の車が止まっていた。

「ごめんね、ロータリーなのに待たせちゃって」

「いや、丁度今着いたんだよ。グッドタイミング過ぎるくらいだ」

「それはすごい!」

「今日の千暎ちゃん、かわいいね。あ、今日もか」

「あ、ありがと。航さんこそ、爽やかじゃん?」

 航は、千暎がこの間とは何かちょっと違うと感じていたが、それには触れず、暫く車を走らせてから「悪いんだけど、一ヵ所寄り道させてもらうね」と言って、病院に立ち寄った。

「すぐ戻ってくるから、ちょっと待ってて」と、後部座席から紙袋を取り、病院内へ入って行った。

 誰か入院でもしてるのかな? 千暎は少しでも目を休めさせようと、シートを倒し、目を閉じた。



「お待たせ!」の声にビクッと目を開ける。

「誰か入院してるの?」

「おふくろがね。頼まれ事されて、今日の午前中に持って来いって、わがまま言うもんだからさ。しかも連絡あったのは今朝だよ? だから仕方無く……。ごめんね」

「そんなん、ぜんぜんいいよ。親を優先するのは当たり前じゃない。そんな事より、お母さんの具合はどうなの?」

「ああ、心配はいらないよ。ちょっと足の骨を折っちゃっただけだから」

「折っちゃっただけって! それって大変なことじゃない!」

「まあね。でも今はすこぶる元気なんだよ。退院させちゃうと、無理しちゃうからさ。僕は未だにおふくろと暮らしてんだ。親父がいないし、一人っ子なもんだから、おふくろも僕に頼るしかないからね。あ、だからって、マザコンじゃないから安心して」と笑った。

「そうだったんだ…………。お母さんと暮らしてるからって、マザコンだなんて思わないよー。早く退院出来るといいね」

 千暎は父親がいない事が気にはなったが、家庭の事情はいろいろあるもんだと、敢えて聞かなかった。航も、余計な事まで聞いてこない千暎に、優しさを感じていた。

「千暎ちゃんは、嫌いな食べ物ってある?」

「ん~、イナゴ、ドジョウ、シラコ、カリフラワー、フキの芽……」

「わかった! もうわかったから。つまりは、大抵のものなら大丈夫って事だろ?」

「つまりは、そう言う事になります」


 航は複数の飲食店も入っている複合施設に向かった。

 食事の後は、施設の店内をゆっくり散策した。ふたりはお互い、さほど気を使う事もなく、自然な会話が続いていた。航は、千暎のいろんな表情、飾らない言葉や振る舞いを、短い時間の中で感じ取る事が出来た。

 彼女は何で特定の男性(ひと)を持とうとしないのだろうか? 見たところモテる事は間違いない。ひとりの男性では物足りないのだろうか? だからと言って、遊んでいるようには全く思えない。束縛されるのが嫌いなのは、自分も一緒だ。
 航は、今まで女性に執着する事など、全くと言っていいほどなかった。しかし、千暎といると楽しくて、何故か心の中をさらけ出したい気分になる。千暎の魅力に吸い込まれて行くのを感じ、もっと千暎の事を知りたくなった。


 そして帰りの車の中。

「今日はすごく楽しかったな〜。こんな楽しいデートをしたのは何年振りだろ」

「あたしも。なんかすごく癒やされた感じがする」

「癒やされた? 僕は癒し系じゃないと思うけど」

「あたしにとっては癒し系だよ。なんか航さんといると安心するって言うか……。まだ航さんの事、うわべだけしか知らないけど、頼れる人のような気がする。決断早いのに、強引さは感じられないし」

「あ……、勝手に決め過ぎちゃった?」

「うん。でもそう言うの嫌いじゃない。むしろ好み。あたしもイヤなら、ちゃんと言うしね」

「好……み?」

「あれ、言い方間違ってる?」

「あ、いや……。好感度は高いって解釈でいいのかな?」

「くすっ…………。かなり高いと解釈して頂いて良いかと思います」

 千暎は笑いながら言ったが、今の気持ちはその通りだった。そして次の言葉で、航に対する気持ちが、もっと高まる事になる。

「千暎ちゃんさ……。こんな事聞いても、答えてくれないかも知れないけど、今日会った時からずっと気になってた事があるんだ」

「会った時から?」

「僕の思い過ごしだと思って、1日過ごして千暎ちゃんの様子見てたけど、やっぱり気になったから……」

「どんなとこが?」

「昨日……、いや最近なのかも知れないけど、ここ1週間で何かあったんじゃない?」

「何で……そんな風に思うの?」

「今日会った瞬間に、初めて会ったあの時とは違うって感じたんだ。表情が疲れてるって言うのかな? うまく説明出来ないんだけど。今日だって、時々遠くを見るような目をしてたし。触れちゃいけない事かと思って聞かずにおこうとも思ったけど、もし、僕に話す事で気持ちが和らぐならって思ったんだ。もちろん、無理に話す必要もないし、話したからって解決するとは限らないけど……」


 ――バレていたのか。たった1度会っただけなのに。だからと言って何て説明する? 元彼に身体だけの関係を求められ、逃げられそうもない。なんて言えるわけない。


「あり……がとう……。会うのが2回目だって言うのに、あたしの異変に気づくなんてね……。航さんには誤魔化しは利かないようだわ」

「そんなつもりじゃないよ。僕は感じた事を言っただけ。やっぱり何かあったんだね? それが仕事の悩みなら相談にも乗るし、言えない事情だとしても、僕が少しでも力になれるならって思ったんだ。それに……、千暎ちゃんの事、もっと知りたいって本気で思ってる。自分でもちょっと驚いてるんだけど」

 仕事の悩みの方が、よっぽどマシだ。

「航さん……。ありがとう。でも……、あたしの事を知れば知るほど、嫌いになるかも知れない。って言うか、きっと嫌われる……。あたしは、航さんに気に入ってもらえるような女じゃないし、そんな資格もない! すごく嫌な女なんだよ…………」

「そうなの? 僕にはそんな風には写ってないけど? 千暎ちゃんが史人くんと一緒に寝てるのを見た時、ある程度の事は把握したよ。きっと千暎ちゃんは本能に逆らわずに生きて来たんだろうなって。自分の事、嫌な女って自覚してるなら、まだ変われるはずだよ?」

「――――――。航さん……」

 航は鈍感どころか、なかなか鋭いではないか。ってことは、そこまで察してて、それを承知の上で千暎を誘った事になる。千暎は恥ずかしさを覚えるのと同時に、航の心の広さに、今まで味わった事のない感情が芽生えていた。

「変われ……る? 変われるのかな。あたし……」

「それは……もちろん千暎ちゃん次第だし、僕が変わらせてやるなんて大きな事は言えないし、言うつもりもない。けど、一緒に考えて行動して、千暎ちゃんの心を軽くする事は可能なんじゃないのかな? そばにいるだけなら僕にも出来るはずだから」

 千暎は嬉しさと同時に今までの淫らな自分が恥ずかしかった。この人に嫌われたくない! 千暎の本心だった。

「あたし……、あなたに嫌われたくない」独り言を呟いていた。

「ん? 何? 今、嫌われたくないって言った?」

「あ、あのさ、もし、あたしが航さんの嫌いなタイプだったらどうする? どうしても許せないような女のタイプだったら――――」

「僕にはタイプとかないんだ。お互いが自然に惹かれあっていければ、その人がタイプなんだと思う。だけど、自分の事しか考えない人は好きにはなれない。一見自分勝手そうに見えても、実はそれが相手の事を思っての行動なら、好きになる。でも千暎ちゃん? 僕は君の事は初めから気になる存在だったんだ。少なくとも嫌いなタイプじゃない事だけは、自信を持って言えるよ?」

「航さん。あたし……怖いんだ。航さんに自分の正体を知られる事が。今まではそんな事考えた事もなかった。嫌いなら嫌われたままでいいって意気がってた……。なんでかな……。航さんには嫌われたくないって、本気で思ったんだよ」

「千暎ちゃんの正体? 君はそんなに謎な人なの? 僕は……、どんな千暎ちゃんでも嫌いにはならない気がするな〜。僕は自分の直感を信じる馬鹿なとこがあってね。その直感が強い時は、外れたことないんだ。特に女性に対しては。仕事人間の僕だから、普段の疎さが逆に女性には敏感に働くのかも知れないんだけど。千暎ちゃんが僕に嫌われたくないと思ったって事はさ、少なくとも好意を抱いてくれたって事でしょ? なら、僕も本気で向き合うよ。だから辛い事抱えてるなら、言ってくれないかな?」

 航の気持ちは嬉しかったが、何をどう伝えればいいのか整理がつかなかった。

「今は……まだ言える状態じゃないの。ただ、航さんとはこれからも繋がっていたいと思ってる。少しずつバレて行くと思うから……」

「少しずつバレて? 千暎ちゃんの発言はちょっと変わってるよね~」と笑いながら「僕だって同じ気持ちだよ。キツいと感じた時は、これからは僕がいるって事、忘れないで」


 航は千暎を駅まで送ると、「また連絡するから」と手を振り、そのまま帰って行った。


 千暎の身体には、一度も触れずに…………。





 『背中』【9】へ続く




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『背中』【7】

2012.11.23(01:50) 759

『背中』【7】―合コンの後―



 翌月曜日の朝。榎田が会社の駐車場に車を駐め、社員通用口に向かっていると、「よっ!」と、いきなり頭をどつかれた。

「痛っ! あ、新田さん! おはようございます。朝から何すんですか?」

 どついてきたのは、先輩の新田だった。

「よう、あれから千暎ちゃんとどこ行ったんだよ!」

「……。どこにも行きませんよ」

「隠すんじゃねーよ。俺は無理やり誘った責任で、聞く権利がある。おまえは答える義務があるんだ!」

「なんですか! 義務って!」

「いいから答えろ」

「強制的ってわけですか。……新田さんが、今後一切、合コンに誘わないって約束するなら、言いますよ」

「約束は出来ねーけど、当分は誘うつもりはないから安心しろ。俺さ、みっちゃんと付き合う事にしたんだ」

「みっちゃん? って、千暎ちゃんの先輩の梅田さん?」

「そ! だから、俺の合コンは一旦終了ってわけ。千暎ちゃんも暫くは誘われなくて済むはずだよ?」

「なんだ、そうだったんですか。良かったじゃないですか~」

「俺も報告したんだから、おまえも言えよ」

「わ、わかりましたよ……。あれから、千暎ちゃんちの近くの駅まで送って行って、連絡先を交換しました」

「ほう、ほう。それで?」

「それでって……、それだけですよ」

「はぁ~? それだけのはずねーだろ?」

「それだけですよ! なんか文句ありますか? 新田さんにウソは言いません!」

「ふん! どうだかな~。ま、一応信じてやるよ。でもよ、連絡先教えてくれたって事は、脈ありだよな? 行って良かったじゃないか~。なんとかものにしろよ! 進展あったら、ちゃんと報告するんだぞー。じゃあな」

 新田は榎田の肩をポン! と叩くと、先を歩いて行った。

 ――ものにするって、イヤな言い方だよな。進展か……。千暎ちゃんて、ほんとに彼氏いないのかな……?

 などと考えながら歩いていた榎田は、大事な事に気付いた。千暎に連絡をしておかねば、と。もし、千暎が梅田美智に本当の事を話したらまずいと思ったのだ。慌ててメールを打って送った。




 一方千暎は――――。


 千暎が更衣室で着替えていると、強引に腕を引っ張る女がひとり。もちろん、美智である。

「ちょっと、梅先輩! あたし、まだ着替え途中ですよ~」と言ったが、美智は千暎の腕を掴んだまま、トイレの前の狭い踊り場に連れ込む。千暎は、梅田美智の事を≪梅先輩≫と呼んでいた。

「おはよう、千暎ちゃん」

「お、おはようございます……」

「千暎ちゃん? 私に報告する事があるわよね?」

「あ! 土曜日はすみませんでした! お先に失礼してしまって」

「そんな事じゃなくて、あの後、榎田くんとどうなったか言いなさいよ!」

「えっ! どうって、特にどうにも……」

「隠しちゃだめよ。私はあなたを合コンに誘った仲間として、聞いておく権利があるんだから」

「け、権利だなんて、何言ってんですか! 勝手に合コン仲間にしないでくださいよ! あ、なら、今後絶対誘わないって、約束してください! そしたら、言いますから」

「絶対って、言われちゃうとあやしいもんだけど、実は私ね、新田さんと付き合うことにしたのよ」

「新田さん? えっ! もしかして、航さんの先輩の人?」

「そう。だから、私は暫く合コンはパスするし。榎田くんも新田さんが誘う事はないはずよ」

「そ~なんですか。良かったじゃないですかー。素敵な人が見つかって~」

「ま、まあね……。素敵かどうかはわかんないけど」と笑った。

「私の事より、千暎ちゃんよ。私はちゃんと報告したんだから、千暎ちゃんも言いなよ」

「わかりましたよー。……あれから、歩きながら話をして、あたしの顔の火照りがなかなか引けなかったから、うちの最寄り駅まで送ってもらったんです」

「うん、うん、それで?」

「……、一応……、連絡先を交換しました」

「お、おー。それで?」

「そ、それだけですけど……」

「は? それだけ? ホントに?」

「ホントですよ! 梅先輩にウソついたら、後が怖いんで!」

「ん~、なんかあやしいなあー。まあ、いいわ。でもさ~、連絡先交換したって事は、お互い好印象だったってわけよね?」

「え……えぇ……まあ、性格は良さそうな人でしたし……」

「ふふっ。千暎ちゃん誘って正解だったかも~。進展するといいね。そうなったら、ちゃんと報告してよ! 私も頑張るからさ! じゃ、またね!」美智は総務課へ走って行った。

 ――進展か~。どうなんかなあー。

 千暎もベストのボタンを掛けながら歩き始めると、大事な事に気付く。航に連絡しておかないとヤバい。ポケットから携帯を取ろうとしたが無い。そうだ。梅先輩に途中で引っ張り出されたから、バッグの中だ。慌てて更衣室に戻り、携帯を出す。

 あれ? メールが来てる……。え? 航さん?

『おはよう。取り急ぎ用件だけ伝えるね。もし、梅田さんに、土曜日の事聞かれたら、駅まで送って、連絡先交換して帰ったって事にしておいてくれないかな? 事情は後で話すからよろしく頼みます。じゃ、仕事頑張ってね。航』


 やだ、航さんも同じ目に合ってんじゃん! しかも同じ報告してるなんて……。ちょっとびっくり。


『おはよう。了解しました!! 連絡待ってるね。お仕事いってらっしゃい!』

 千暎も事情は後で話せばいいと思って、美智に聞かれた事は伝えなかった。
 仕事をしながら、もうひとつ気になる事を思い出した。あさみに聞いておくべき事があったのだ。千暎は、昼休みにあさみと話す事にした。

「この間はびっくりしたよ。史人が部屋の前にいてさ」

「ごめんね。あの時史人くん、結構パニクってたから。私は車持ってないから迎えには行けないし、何処にいるか聞いたら、千暎ちゃんとこのひとつ前の駅だったから、何の躊躇いもなく千暎ちゃんちに行けばいいよって、勝手に言っちゃったんだ……」

「ぜんぜんいいよ。でも、電話気づかなくて、待たせちゃったみたいでさ」

「聞いたよ~、梅田さんに強引に合コンに付き合わされたんだってね」

「やだ……。聞いたの?」史人はどこまで話したのだろう……。

「うん、でも、気の合いそうな人もいなかったし、途中で帰って来たんでしょ?」

「う、うん、そーなのよ」
「でも、千暎ちゃんちに泊めてもらえばって、言ったものの、夜中に急に変な事に気づいちゃって……」

「変な事?」

「だって、ふたりだけになるって事は、この間みたいになりかねないって言うか……」

「えっ…………」どうやら、本当の事は話してないっぽい。

「でも、史人くんは、思いとどまったって言ってくれた。私、史人くんを信じていいんだよね?」

 千暎は胸が痛かった。自分はなんて浅墓なんだ。親友の彼氏を寝取っておきながら、平気な顔してる。しかも、史人が何処まであさみに話したのか確認しようとしているのだ。千暎は自分を悪者にした。

「あさみ……、ごめん、実はね、あたしの方から史人に迫ったの……。あたしってさ~、お酒飲み過ぎるとやばくなるじゃん? あの日もちょっとそう言う気分になっちゃって……。でも、史人はあさみがいない時はダメだって言って、いっそ、眠くなるまで飲めって……。気がついたら朝になってたんだ……」

 千暎は自分で話しながら吐きそうだった。

「そうだったんだ……。だから史人くん、千暎ちゃんの事をかばって何も言わなかったんだね……。でもね、もし、ふたりが我慢出来なかったとしても、相手が千暎ちゃんなら、私は許せるよ。私、千暎ちゃんの事大好きだし、男の史人くんが抱きたいと思うのは仕方ない欲情だと思うんだよね……」

「あさみ…………」

 だからと言って、本当の事が言えるわけがない。史人を許そうとしているあさみが愛しかった。

「史人はあさみみたいな健気な彼女を持って、幸せ者だわね……」

 史人は、あさみにも事実を伝えてなかったのだ。千暎は安堵する気持ちと背徳行為に、心が濁っているのを感じた。



 その日の夜。航からメールが来たのは、22時近くだった。

『今、帰宅途中なんだけど、後15分くらいで家に着くから、その頃電話してもいいかな?』

 千暎は、いきなり電話をして来ない航に対して誠実さを感じた。もちろん、いいよ、と返す。


 ふたりは今朝の出来事を報告し合うと、同じ考えだった事に驚き、何か惹かれるものを感じていた。航は千暎を初めて見た時から、何故か千暎ばかりが気になっていた。千暎の様子をずっと見ていたし、店を出て行った時も、つい後を追ってしまっていたのだ。もしかしたら、自分たちは必然的に出会ったのではないか? 航は、今までに感じた事のない感情が沸き上がっていた。

『あのさ……。今度の土曜日は空いてるかな?』

『あ~、うん、多分大丈夫だよ』 

『良かったー。多分の意味が気になるけど……。じゃあ、デートしてもらっていい?』

『してもらうって! わかった! してあげます!』

 ふたりは土曜日に会う約束をして電話を切った。


 金曜日の業務が終了し、千暎は直ぐに帰宅した。コーポラスの前に、見覚えのあるバイクが止まっている。ヘルメットを見ると大きなスカルのシールが貼られていた。間違いない。脩平のバイクだ。階段を昇ると、予想通り脩平がドアの前に座り込んでいた。

「どうしたの? シュウ」

「あ、お帰り。今日は珍しく仕事が早く終わったから、千暎に会いに来た。はい! これ! 千暎の好物のカスタードのたい焼き」

「わ! あの店のたい焼きじゃん! シュウ、覚えてくれたんだ」と、たい焼きに釣られ、シュウを部屋に招き入れた。千暎は、いつもなら部屋に入ると下着を脱ぐのだが、今日は着けたまま、部屋着に着替えた。

「ちょっと冷めちまったな~」

「大丈夫。ちょっとだけオーブントースターで焼くと、カリッとするよ」

 千暎は、たい焼きを焼いてる間に、冷凍庫からおにぎりを出すと、それを解凍し温め、明太子を詰め、海苔を巻く。冷蔵庫から、昨日作ったポテトサラダとお新香もテーブルに並べた。

「今日はこれが夕飯。足りなくても、後はお菓子しかないから」

「俺も食べていいのか?」

「こんな時間に来といて、たい焼きだけじゃ足りないでしょうが!」

「悪いな。一応メールしたんだけどさ、エラーで戻ってきちゃったんだよ。アドレス変えたのか?」

「あ……。うん……。変えたのは随分前だけど……」

「教えてくんないかな?」

 千暎は黙ったまま、たい焼きを口にした。「美味い! あのオヤジさんの味だ~。懐かしいな~」千暎が誤魔化す。

「い、いただきます」シュウも、おとなしく出された食事に手をつける。

「千暎が作るもんは何でも旨い!」

「何でもとは余計だよ。でも……、シュウは何を作っても旨いって言ってくれたよね? それだけは今でも感謝してるんだ~」

「それだけかよー。……なあ、千暎。俺はどんな男になれば、おまえに認めて貰えるんだ?」

「どんな? 今のままでいいんじゃない? 今のシュウを受け入れてくれる子を探せばいいんじゃないのかな?」

「俺は千暎に認めて欲しいんだよ!」

「認めるって、どう言う事? あたしは今のシュウでも随分変わったと思うし、これからだって、どんどん男らしく変わると思うよ? 認めるとかの問題じゃなくて、気持ちがあるかどうかでしょう?」

「千暎は俺に気持ちはないのか?」

「シュウが引きずるといけないから、ハッキリ言うけど、今のあたしの心の中に、多分……、シュウはいないの。あの時に終わったのよ。だから、もう、あたしを追うのはやめた方がいい。きっとシュウの事、好きになってくれる人が現れるって。だから…………」

「何でだよ! 何で俺じゃダメなんだよ! 俺の身体は好きなんだろ? だったらもっと好きにさせてやる!」

「――――――!」

 脩平は千暎の言葉を遮ったかと思うと、千暎を押し倒した。千暎は素面で冷静なはずだったが、脩平の強引さには叶うはずもない…………。

「千暎が俺を忘れるわけないよな?」

「…………。あたしがシュウの事忘れられるわけない…………。でもそれは愛情じゃないよ? シュウは、身体だけの関係でもいいと思ってるの?」

「俺は千暎が好きだから……、誰にも渡したくないだけなんだ……」

「それじゃ何も変わってないじゃん!! シュウに会った時、逞しくなって、少しは大人になったと思って安心してたのに……。シュウはあたしに会って、また逆戻りしちゃってるじゃない! あたしはシュウのものにはならないよ? あの時の千暎はもういないんだよ!」

 脩平は暫く黙っていたが、ぼそりと呟いた。 

「だったら、俺は、千暎と身体だけの関係でいいぜ……」

 千暎と再会した事によって、すっかり雄犬に戻ってしまった脩平であった。





 『背中』【8】へ続く




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『背中』【6】

2012.11.23(01:06) 758

『背中』【6】―合コン




 ○月△日(土)


「千暎ちゃん、今回だけだから! お願い!」 

「あたし……、その日は用事が――――」

「ないわよね!!」


 総務課の梅田美智が合コンの人数が足りないからと、千暎に頼み込んで来たのは昨日の事。美智は、千暎が合コン嫌いなのを知っていたが、都合つく人間がギリギリまで見つからず、途中で帰ってもいいから、と無理やり参加させていた。

 お店には男女7人づつが顔を並べ、ホントかウソかわからない自己紹介を済ますと、割とゆったりとした時間が流れる。千暎的には地味目にして来たつもりだったが、何故か質問が千暎に集中して来てしまった。千暎は美智先輩の良いところをアピールし、自分は器量のなさを全面に押し出し、他の女性に気が向くように仕向けると、わざとお酒をハイペースで飲んで、気分が悪いと言って、店の外に出た。


 ――あ~、息苦しい。合コンの何が楽しいんだよ。先輩にメールしてこのまま帰っちゃお~。


 すると、ひとりの男性が千暎に近づいて来た。

「ちあきちゃん? だったよね? 大丈夫かい? 気分でも悪くなったの?」

「いえ、そんな事ないから、大丈夫よ」

「あの……、もしかして、君も代理?」

「へっ?」

「なんとなく、乗り気じゃなさそうだったし、自己アピールゼロだったから、そうなのかなって思っただけなんだけど、違ったらごめん……」

「いえ……。ズバリですよ……。ん? 今、君も、って言ったよね?」

「あ、僕もそうだから」

「えっ! そうなの? お気の毒」

「ハハハ、お気の毒か。まさに。まあ、今回だけって、先輩に言われてしまって。いつも迷惑かけてる身としては断りづらくてね」

「あら、あなたもなの? おもしろーい! あたしも先輩に頼み込まれちゃって、ほぼ無理やり」と言って笑った。

「そうだったの? それはまた奇遇なことだね〜」

「ね、それってネタじゃないよね?」

「ネタ? まさかー。そんなめんどくさい事しないよ」

「めんどくさいって――――。やる気の無さはあたしと一緒だわ」千暎はクスクス笑った。

「ねえ、僕の名前、覚えてる?」

「あっ、そうだよね。……、えっと……。榎田……榎田なにさんだっけ?」

「お、良く覚えてたね? 榎田航。君はたけもとちあきちゃんで良かったんだよね?」

「良く覚えてたね」千暎が復唱する。

「あの……、榎田さん、戻らなくていいの? あたしはもう帰ろうかと思ってるから」

「そうなの? でも、結構顔赤いけど、大丈夫?」

「――――! そうだった……。あたし、早く抜け出したくて、ハイペースで飲んじゃったんだ。バカだ〜。はぁ〜あ」

「もしさ、迷惑じゃなかったら、顔の赤みが引けるまで、少し歩かない?」

「えっ! あ……、う、うん……。でも先輩さんには言わなくて平気?」

「一応メールしておくよ。ま、合コンなんだし、二人で消えたら、察しがつくんじゃない? 後で問いただされるだろうけど」と、ため息混じりに笑った。

 千暎と榎田は、遠回りして駅まで歩く事にした。

「ちあきちゃんって、どんな字書くの?」

「どんなって……。割と上手だねって言われるから、上手いみたいよ」

「――――。ぷっ。……、そ、そうじゃなくて、名前の漢字の事を聞いたんだけど」

「はい。わかってます〜」千暎は笑いながら名前を説明すると、いつもながら珍しがられた。

「今日は無理やり連れて来られたって言ってたけど、彼氏とかいたりするの?」

「彼氏がいて合コンに参加する女なんて、最低だと思わない?」

「いるんだ?」

「いないって言うか……。あたしが彼氏と思ってる人はいない、かな? だから、参加してるんじゃん?」

「え……、彼氏認定の人はいないって事?」

「認定――――。上手い事言いますね~。でも、単にあたしが彼氏と言う特定人を作りたくないだけなんだけどね」

「あ~、束縛嫌いってやつ?」

「わかる?」

「なんとなくね。僕もまだ愛しいと思える女性に出会えてないせいか、ちょっとめんどくさいなって思ってしまう時があるんだよ」

「出ました! めんどくさい!」

「あ、いや、きっとそれだけのめり込める女性に巡り会えていないだけなんだと思う。無理に探そうとも思ってないしね。結婚とか出来ないタイプかも知れない」

「結婚……したい?」

「まぁ、したくないわけではないってとこかな」

「結婚って何だろうね? あたしは結婚に憧れてないから、あんましたいとは思わないけど、縁ってもんは信じてるよ」

「結婚に憧れてない? 女の子なのに変わってるね〜。まぁ、結婚も縁だし。日本人は縁を大切にするからね。だとすると、僕達の偶発的な出会いは、もしかしたら縁って事なんじゃない?」

「ふふ、そうね、考えられなくもないわよね」

 榎田は、千暎に不思議な感情を抱いていた。今までも女性に興味がなかったわけではないが、自分から進んでアピールするタイプではなかったし、追いかけられるのも苦手だった。だが、千暎は、何故か気取らずに会話出来るし、なんだか楽しい気分になっていた。

「ねぇ、あたしの顔、まだ赤い?」

「う~ん、完全には引けてない感じかな?」


 ――ウソだ。もうすっかり引けてるではないか。


「そっか、まだダメか……。もうすぐ駅着いちゃうよ……」

「なら、僕が一緒に電車乗ってあげようか? 二人なら人目も気にしなくて済むし、恥ずかしくないんじゃない?」

「えっ! でも、あたしがどこ駅で降りるか知らないでしょ?」

「知らないけど、そんな遠くから来てないでしょ? 僕は終電に間に合えばいいんだし」

 榎田はもう少し千暎と話をしてみたかった。

「間に合わなかったら?」

「間に合わせる!」

「じゃあ、間に合うかどうか試してみようか?」

 榎田は、千暎の意外な言葉に好奇心をくすぐられた。

 千暎が下車する駅までは30分。榎田は逆方向だったらしく、そこから登り電車で45分。つまり、合コンした店の最寄り駅からは、15分足らずだったわけだ。

 あっと言う間に駅に着いてしまった。

「なんかすごく早く感じたなー。ありがとう〜。この時間なら余裕だね」

「千暎ちゃんちは、ここからどれくらい? ひとりで大丈夫?」

「大丈夫じゃないって言ったら、送るつもり?」

「もちろん!」

「終電乗り遅れちゃうよ」

「そんなに遠いの!?」

「だって、ここからバスで40分だよ」

「――マジで!?」

 千暎は大笑いしながら、冗談だと謝った。

「大丈夫。大通りだし、歩いて7分の好物件です」

「おお、それは良い物件見つけましたね〜、お客さん」と言って榎田も便乗した。

 千暎はこのまま別れるのは惜しい気がしていた。だが、それをどう伝えたら言いいかわからずにいた。少しの沈黙の後、榎田の方から言ってきた。

「あのさ……、まだ終電まで少し時間あるし、もうちょっと話さない? そこでコーヒーでもどうかな?」と駅前にある珈琲店を指差す。

 千暎のアパートはすぐ近くだと言うのに、敢えて店で話そうと言う榎田に、千暎は誠実さを感じた。もしかしたら、榎田も同じ気持ちだったりするのかも知れない。

「あたしはすぐ帰れるからいいけど、榎田さんはそうは行かないじゃない?」

「少しなら大丈夫だよ。いいかな?」

「う、うん……」

 店に入ると榎田から話始めた。

「さっき縁の話が出たけどさ、偶発的な出会いついでに、僕達、友達になれないかな?」榎田は電車の中で思っていた事を、思いきって言ってみた。

「いいよ」

「はっ?」あまりにあっさり言う千暎に拍子抜けしてしまった。

「い、いいの?」

「いいよ、お友達でしょ? 榎田さん、悪い人じゃなさそうだし。お友達増えるのは良いことよね?」

「あれ? そんな簡単に信用しちゃっていいのかな?」

「榎田さんが悪い人だったら、あたし、自分を信じられなくなるわ」

「千暎ちゃんて……、自分に正直な人だね。そして、思った事をはっきり言える人」

「そうかな? 言えない事、いっぱいあるよ」と言って笑った。

「秘密は言わなくて言いけど」と榎田が返す。

「さっきも言ったけど、僕はあまり女性に対して積極的な方じゃなかったんだ。自分から誘う事とか滅多になかったし。だから、千暎ちゃんを引き止めてる今の自分に、すごく驚いてるんだ」

「ふ〜ん、それって、あたしを女として見てないからなんじゃない?」

「そんなわけないよ! 千暎ちゃんって、見かけはすごく色っぽいし……」

「あん? 見かけは?」

「うん、あっ、いや、ちゃんと女性として見てるって! だから、自分から行動起こしてる事が不思議なんだよ」

「あたしもね、軽いナンパならさっさとお断りでさよならなんだけど、何故か断れない自分がいるんだよね……。なんでかな?」

「ホントに? お互い気になる存在って事は、やっぱり良い方向の縁なのかも知れないよ? それと、厳密に言うと、ナンパとはちょっと違うんじゃない?」

「確かに。君も突っ込みますね~。でも、良いか悪いかはまだわかんないじゃない? 『今まで言ってた事はぜーんぶウソさ。おまえを落とすのは簡単だったぜ』な~んて本性現すかも知れないし」

「僕が? めんどくさがりな僕が、そんな事考えると思う? 僕だって、千暎ちゃんが気にならなかったら、あの時、声なんてかけなかったよ。それに、わざわざ送るような事もしなかっただろうし。全く自然な行動だったんだ。ウソついてるように見えるのかな~?」

「全部計算だったりして……」

「ま、仕方ないか……。始めから信用してもらうのは無理ってもんだよね……」

「ごめん、……。榎田さんの目はウソついてないと思う。話してればわかるよ……」

「千暎ちゃん……。僕はもっと君の事知りたいと思った。千暎ちゃんは?」

「て言うか、知り合ったばっかじゃん! 知らない事だらけだよー」千暎も、すでに榎田の事がなんか気になる存在になっていた。

「そろそろ行かなくちゃ……。あ、そうだ。肝心な事聞くの忘れてた。千暎ちゃんの連絡先、教えてもらっていい?」ふたりは連絡先を交換した。

 店を出ると、駅前が人だかりになっている。

「何事?」

 どうやら、人身事故の影響で、電車の運転再開のメドが立っていないらしい。

「なんてこった……。困ったな……。どうすりゃいんだ……」

 すでにバスも運行していない。タクシーには行列が出来始めていた。

「参ったな。タクシーで帰ったら、いくらかかるかわかったもんじゃないぞ。てか、この行列だといつ乗れるかも定かじゃないな~。……。この辺りにネットカフェとかある?」

「西口に出れば1件あるけど、この状態だと満席かもよ」

「とりあえず行ってみるよ。場所教えてもらえる?」

「あ〜、なら、ウチ来れば?」

「えっ――――――!」

「だってすぐそこの好物件だし。狭いけど」

「いいの? 大丈夫なの?」

「大丈夫って、何が? お友達が困ってるのに放っておけないじゃん?」千暎が躊躇いもなく、あっさり言う。

 榎田は千暎の言葉に甘える事にした。千暎の部屋は2階にあり、階段を登ったところで、千暎が足を止めた。

「――! 誰かいる……」千暎がゆっくり近づく。

「――――! 史人?」

 ドアの前に座り込んでた史人が、すくっと立ち上がった。「あ、お帰り。遅かったね」

「遅かったね、じゃないよ! 何で史人がここにいるわけ?」

「電車が動かなくてさ……。俺、今日出張だったから、車じゃないんだよ。あさみに電話したら、千暎んちが近いから泊めてもらえばいいじゃん? って言われて、ひと駅歩いて来たんだよ。千暎に電話したんだけど、出なくてさ。とりあえず直接来ちゃったんだ」

「あ! ごめん! 気づかなかった!」

「でも、来ちゃまずかったみたいだな」と榎田を見ながら言った。

「あ……いや、僕の方こそお邪魔みたいだよね……」榎田も気まずそうに千暎を見る。

「あ、あ、あ、ごめん。今開けるから、二人とも中入って」千暎が慌てて鍵を出すと、ドアを開けて二人を部屋に通した。

 千暎は誤解のないように、二人を紹介した。榎田は、史人の彼女が千暎の親友だと聞いて、安心しているようだった。

「って事で、お近づきのしるしに乾杯しよ?」

 千暎は冷蔵庫からビールとツマミを出し、テーブルの上に並べると、さっさと部屋着に着替え、テーブルにつく。

「えっと…………。奇遇な出会いに乾杯!」

 三人は缶ビールで乾杯すると、千暎と榎田の出会いの経緯を話したり、仕事の事や人間関係、政治経済の話しまで、男同士でなかなかの盛り上がりようだった。深夜2時を回りはじめた頃から、榎田はウトウト舟を漕ぎ始める。

「史人~、悪いんだけど、そこのソファの下を引っ張るとベッドになるから、出してくれない?」史人が言われる通りにすると榎田に話しかけた。「航さん! ここで横になっててください」

 榎田は少しふらつきながら「僕……、お酒は……そんな弱くないんだけど……、今日は……なんだか……ダ……メ……だ……すまん」と言いながら、ソファベッドに寝転んだ。千暎は榎田の眼鏡をそっと外し、テーブルに置く。

「航さんて、なかなかいい男なんじゃないか? 仕事出来そうだし、真面目過ぎないって言うのも好感持てるし」

「へぇ~、史人の分析は信用性ありなんかな~?」千暎が赤い顔して言う。

「話して見れば何となくはわかるさ。少なくとも悪い人じゃなさそうだよ? 遊び人でもなさげだし」

「そうみたいね~」

「試しに付き合ってみたら?」

「試しに?」

「だって千暎、まだフリーなんだろ?」

「いちおう。でも、縛られたくないんだよね~。航さんの出方に任せようかなぁ~」

「それもありだな。でもさ、こんな偶然滅多にあるもんじゃないよ? チャンスなんじゃないか?」

「チャンス? ふっ…………。そうなんかな~? 航さん……か……」

 二人ともお酒を交わしてから、下の名前で呼び合っていた。榎田と呼ぶより呼びやすいからだ。そして、史人も千暎をいつの間にか苗字ではなく、名前を呼び捨てにするようになっていた。

 千暎はもうひとつの方のソファに頭を乗せ、上を向くと、考えるようにふ~っと息を吐いた。千暎のシャツの下の素肌が透けて見える。史人は、あさみとの夜の千暎の淫らな姿が脳裏に蘇る。


 ――ヤバッ。今日はあさみがいないんだ。


 しかし、史人は徐々に興奮してきてしまっていた。一旦トイレに行き、自分を落ち着かせる。トイレから戻ると、千暎はさっきの状態のまま目を閉じていた。寝ちゃったのかな? 史人が隣に座ると、千暎がもたれかかってきた。

「おい、大丈夫か? ベッドで寝た方がいいよ。風邪ひくよ」

「……んっ、はぁ~、なんかちょっと飲み過ぎたかな~。史人は平気なの?」

「ああ、俺、ペースが遅いから、あんま酔わないんだよね」

「そっか~。でも……、まだ眠くは……ないよ」と言って、そのまま史人を見上げる。上から千暎の胸元の膨らみがはっきり見える。

「ハァ…………、千暎……」史人は堪らず千暎にキスをした。

「んっ…………。史人~、どうしよう……、身体が熱い……」

「俺も……」そのまま倒れ込み、激しく求め合う千暎と史人。

「ん……ん~」榎田が寝返りを打つ。

「まずいよ、千暎……。あっち行こう?」と言って、千暎を抱き起こす。千暎は、一定の量以上の酒が入ると、身体のセーブが利かなくなる。ふたりは長い時間快楽に耽るのだった。


 翌朝、千暎が目覚めると、隣で史人が寝息をたてて寝ている。寝室を出ると、そこに寝ていたはずの榎田がいない。

「あれ? トイレかな?」

 部屋の中を良く見ると、ソファベッドはソファに戻り、テーブルの上はきれいに片付けられていて、榎田がいる気配はなかった。帰っちゃったのかな? 何も言わず帰るかな~?


 ――ハッ! もしかして見られた? ――――――。だとしたら、航さんとは進展しないわ……。


 あっ! 千暎は思い出したように携帯を開く。メールがきていた。

『おはよう。昨日はいろいろ会話出来て、楽しい時間だった。本当にありがとう。千暎ちゃんが史人くんと気持ちよさそうに寝ていたから、起こさずに帰ります。それにしても僕達、缶ビールをあんなに飲んだの? ほとんど千暎ちゃんだろうけど、お世話になったお礼に片付けておきました(笑)。ほんと助かったよ。ありがとう! 玄関の鍵、借りてポストに入ってます。さすがに開けっ放しではまずいので。起きたらすぐ確認してね。また連絡します』


 ――航さん。あなたっていい人なのかも……。でも、気持ちよさそうに寝ていたから、ってのが気になるな~。見られてなくても、疑われたかも知れない……。


 千暎が軽い朝食を作っていると、史人が起きてきた。

「あれ? 航さんは?」

「帰っちゃったらしい」

「へっ? もう帰ったの? 随分忙しい人なんだな」

「彼なりの気遣いなのかも。あたし達に対するね……」

「そうなのか? ――――まさか……昨日の俺達の事知って、気を悪くしたとか?」

「どうかな? メールの内容だと気づいてる様子はなかったけど、何かを察してしまったかもね……」

「鈍感な人ならいいんだけど。千暎はエロ過ぎるよ……。あんな姿見ちゃうと、男はセーブ出来なくなる」

「――――。ごめん! お、お酒飲むとヤバいんだよ。でも、お酒好きだし、あんなになっちゃうから、外ではあんま飲めないしさ。家だとつい飲み過ぎちゃうんだよね……」

「悪いクセだな。男を部屋に呼ぶ時は、酒飲まない方がいいんじゃないか?」

「危険な人は呼ばないから安心してよ」

「いや、そう言う問題じゃないと思うけど……。じゃあ聞くけどさ、酒が抜けた今でも俺と出来るか?」

「えっ! ……。それは……史人次第なんじゃない?」

「試してみる?」


 と、その時。

 ブー! ブー! ブ―! 史人の携帯が鳴った。

「あさみからだ」


 思わず顔を見合せ、苦笑いする千暎と史人だった。





 『背中』【7】へ続く



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